2019.3.11 (月) タイ日記(5日目)
いつもと変わらず夜明け前に起床する。顔を洗うため風呂場へ行くと、シャワー室の床は濡れていて、タオルも使ってある。酔って帰っても、どうやらシャワーは浴びたらしい。おとといの日記を書くうち、外はいつの間にか明るくなっていた。チャオプラヤ川を往く、船のエンジン音が聞こえてくる。
9時すぎにプールへ行き、2時間ほども本を読む。スコータイの宿の長方形のプールは、平泳ぎ13掻きで向こう岸に達した。こちらの楕円形のプールは35掻きだった。このプールから間近に望める、建築の途中に資金が途切れたか、何年も放置をされたままの巨大な廃墟ビルには、スコータイのキモトさんによれば、ここを縄張りにしている不良にお金を払えば入れるのだという。確かに大きな落書きがたくさん、最も高いところでは屋上の更に上の、エレベータの機械室にも見られるが、そこまで階段で昇るのは容易ではないだろう。
クロントイのモツ鍋屋「ヘンチュンセン」には何年も前から行ってみたくて仕方がなく、しかし朝から15時までの営業、しかもひとりでは食べきれない量のため、長く行けずにいた。ところが先月だったか、この店をfacebookに上げているタイ在住の日本人がいたため、すかさずメッセンジャーで事情を知らせた。そうしたところすぐに返事があって、本日13時の待ち合わせが決まった。初見の人には特に遅刻は失礼と、ホテルは早めに出る。
サパーンタクシンから乗ったBTSをサラデーンで降り、シーロムからMRTに乗り換えクロントーイに着く。時刻はいまだ12時10分。外へ出て休む場所がなければ暑さに参る。よって冷房の効いたプラットフォームのベンチで12時45分まで本を読む。
現地のSIMカードを持たないため、iPhoneはデータのローミングを停めている。しかしあらかじめgoogleマップをダウンロードしておけば、1ヶ月の期間限定ではあるけれど、オフラインでもGPSが機能する。ヘンチュンセンには12時52分に着いた。
タイの好きな人たちの集まるfacebookページで知り合ったタカハシマサヤさんは、すぐに分かった。席に着くと、次々に計4名が集まった。注文はモツ鍋の大。3名はビールを頼んだが、僕は夜の酒をできるだけ美味く飲むため、テーブル上のポットのお茶を飲む。歓談は2時間以上に及んだ。タカハシさんには大いに感謝をしたい。
ところでここまで来たならオンヌットのテスコロータスへ行きたい。バンコクでラオカーオの品揃えが良いのは、僕の知る限りテスコロータスとピンクラオのパタデパートだけなのだ。MRTとBTSを乗り継いでオンヌットに着き、駅からテスコロータスへの歩道を歩きながら、タイでは酒は、日中は11時から14時のあいだ、夕刻は17時からしか買えなかったことに気づく。現在の時刻は16時を回ったばかりだ。
広い店内に突き止めた酒の売り場には、親切なことに進入禁止の帯が渡してあった。オンヌットは繁華街ではないから、マッサージ屋がそこここに見つかるはずはない。すこし考え、おなじフロアのフードコートへ行く。そしてテンモーパンつまり西瓜のジュースを注文し、それを飲みつつカウンターで本を読む。
ラオカーオの棚には、僕の最も好きな”BANGYIKHAN”は残念ながら無かった。しばらくあれこれのラオカーオを眺め渡し、最も高い”CABALLO”を199バーツで、次に高い”RUANG KHAO”を170バーツで手に入れる。
夜はオースワンを肴に飲もうと、宿のちかくの”Thip Volcanic Fried Mussel & Oyster”へ行くと、ミシュランに載ったせいか行列ができている。即、きのうとおなじ屋台街へ回り、空心菜と海老の炒めを肴にする。今夜は中国から来たオニーチャンと、しばし話をした。オニーチャンは女の人とふたりで13日間の日程でタイに来たが、相手とは興味のおもむくところが異なるため別々に行動をしていて、明日はアユタヤへ行くのだという。
屋台街は、かまぼこ形の巨大な立体駐車場を取り巻くようにして、鉤の手に延びている。その露店と露店のあいだを、来たときとは逆に辿って部屋に戻る。
朝飯 きのう”PG211″の機内で配られたほうれん草のパイ、インスタントスープ
昼飯 「ヘンチュンセン」のモツ鍋(大)
晩飯 シャングリラホテルバンコクサービスアパートメント裏の屋台のパックブンファイデーンサイクンドゥワイ、ラオカーオ”Colt’s Silver”(ソーダ割り)