2019.3.10 (日) タイ日記(4日目)
闇の中に目を覚まし、しばらくはそのまま横になっている。ベッドのサイドボードにiPhoneを手探りし、ホームボタンを押すと、時刻は2時44分だった。夜はさしてすることもないから、夕食を摂ってシャワーを浴びればすぐに寝てしまう。そういう次第にて、旅先では早寝早起きの性向が更に強くなる。また、生活の時間配分をこのようにしないと、旅の最中の異常に長い日記は書けない。
「フーイッ、フーイッ」と啼く鳥の声に促されるようにして起床する。この、インドシナに多く棲むらしい鳥は、場所により微妙に啼き方を変える。ナラティワートでは「ホーイッ、ホーイッ」と啼いていた。フアヒンでも啼き方は、また異なっていた。鳥の声にも方言というものがあるらしい。
おとといの日記を書き上げ「公開」ボタンをクリックする。時刻は7時を過ぎている。朝食を摂るため、目の前の食堂棟へ降りていく。食後にフロントへ行き、プールの開く時間を訊く。その9時までは部屋できのうの日記の途中までを書き、また荷造りをする。
静かなプールでは2時間ほども本が読めた。11時15分に部屋に戻ってシャワーを浴び、身支度を調える。そして11時47分にチェックアウトをする。初日に復路の分も予約した”EDDY Airport Transfers”のワゴン車は驚くべきことに、レシートに印刷されている12時30分に、いささかも違わずに来た。乗り込んだのは、僕と東洋人のオニーチャン、白人のオニーチャンの3名。途中の”Blue House”という宿で更にひとりの白人オニーチャンを乗せ、空港には12時46分に着いた。
「空港はどこですか」と、スーツケースを曳きつつ日に焼けた、朝、一緒にワゴン車に乗り込んだ白人のオニーチャンが訊く。「あそこだよ、可愛い空港でしょ」と目の前の建物を指す。「まるでスーベニールショップみたいですね」と、オニーチャンは感嘆と呆れと嬉しさの入り交じった笑顔を浮かべた。タイエアウェイズが所有する空港のカウンターに係はふたり。オニーチャンはチェックインを済ませると即、搭乗待合室へと向かった。
2月14日に発症した「腹減らない病」は、この旅の初日あたりに快癒した感触があった。つまりは腹が減っている。空港の、木造の建物の軒下に”FOOD & BEVERAGE”という札が提げられている。しかしその矢印が示す方へ行っても食堂らしいものは見あたらない。戻って警備員に訊くと、英語は解さないらしい。タイ語で言い直すと、200メートルほど先の、屋根だけの建物を指す。よって散水車が水を撒いたばかりの濡れたアスファルトを踏んで、そちらの方へ歩いて行く。
そこはなかり大きなフードコートで、お菓子ばかりを売る店や、飲物ばかりを売る店など、複数の棟から成っていた。スコータイで食べたバミーは2回とも外れだったから、今日はセンヤイを頼んでみた。ところで「センヤイナム」の発音は中々に難しく、外国人のタイ語に慣れていないタイ人には通じにくい。今回も二人目のオネーサンがようやく理解してくれて、何とか注文を通す。
25バーツという、地方ということを勘案してもかなり安い、そして悪くない味のセンヤイナムを食べ終えたころ、ワゴン車に同乗していた東洋人のオニーチャンも昼食を摂りに来て「日本人ですか」と僕に話しかけた。「あ、日本の方でしたか、あの宿、良かったですね」と答えたら「実は日本語は話せないのです」とオニーチャンは言葉を英語に切り替えた。
オニーチャンは、北京出身で現在は香港の会社に勤めている。バンコクには仕事で来たが、週末の休みを利用して遺跡を観光した。日本には二度、行った。一度目は東京と京都と富士山という有名どころを訪ね、二度目は九州を周遊した。ナガカキは日本にとってとても残念なことだったが原爆資料館にも行ったなどと語った。僕のスコータイに来た目的は宋胡録の窯跡を見るためと話したけれど、オニーチャンはスコータイの焼き物については知らなかった。宋胡録は中国の技術によるものだけに、中国には輸出はされなかったのかも知れない。流暢な英語を話し、非常に紳士的、非常に控え目なオニーチャンだった。
14:05 保安検査場を抜けて搭乗待合室へ行く。
14:42 ボーディング開始
14:47 遊園地の遊覧バスのような乗り物で飛行機まで運ばれる。
15:06 ATR72-600″を機材とする“PG210″は、定時に6分おくれて離陸。
極端に細長く区画された農地が機窓から見えてくると、バンコクは近い。その農地には最近、大変な速度で建て売り住宅のような建物が増えているような気がする。
16:13 “PG211″は定刻より7分はやくスワンナプーム空港に着陸。
16:43 回転台からスーツケースが出てくる。
16:55 エアポートレイルリンクが空港駅を発車。
17:52 パヤタイ、サイアムで乗り換えたBTSがサパーンタクシンに到着。
17:57 徒歩で定宿の”Centre Point Silom”に到着。
コーランが聞こえる。時刻は18時30分。運動会が始まると同時に騒音に対する苦情の電話が学校にかかるような、日本は苦情大国になってしまった。日本のイスラム寺は無事だろうか。本とラオカーオとステンレス製のコップをスーパーマーケットの袋に入れて外へ出る。そしてセブンイレブンで350ccのソーダ2本を買い、シャングリラホテルバンコクサービスアパートメント裏の屋台街まで行く。
目の前に豚のチムジュムが運ばれると「写真映えしそうな料理ですね、撮らせてもらっても良いですか」と、ひとつ置いてとなりの椅子に着き、トムヤムクンとごはんを肴にビールを飲んでいた白人の爺様が話しかけてくる。ドイツ人で完全に引退した77歳。現在は7週間の旅程の最終週で、カンボジアとラオスを回ってきた。現役時代の仕事は海洋の調査に関係することで、掘削船ではニューカレドニアにも行った。日本には船で横浜に入り、東京だけは観光できた。スコータイは4年前に自転車で巡った。医者に言われて自転車には毎日、乗っているなどと語った。
それにしても7週間とは羨ましい。タイは、観光ビザを取ることにより3ヶ月の滞在が許される。僕もできるだけ早く、ドイツ爺のような身分になりたいものだ。
すぐ近くのフードコートを覗き、日の暮れるころコーランの聞こえてきたイスラム寺院の脇を抜けて、ホテルには脇の柴折り戸から入る。以降の記憶は、無い。
朝飯 “Thai Thai Skhothai Guest House”の朝のブッフェ其の一、其の二
昼飯 スコータイ空港のフードコートのセンヤイナム
晩飯 シャングリラホテルバンコクサービスアパートメント裏の屋台のチムジュムムー、ラオカーオ”Colt’s Silver”(ソーダ割り)