2019.3.9 (土) タイ日記(3日目)
目的には義務が生じる。義務は、たとえそれが自分の興味のおもむくところのためではあっても、ある種の気の重さを生む。今回の旅の目的は、宋胡録の窯跡を訪ねることだった。その目的を旅の2日目に果たして気分は一気に楽になった。今日は、初日に辿り着けなかった遺跡へ行く。本日すべきことは、それがすべてだ。
07:05 朝食。
08:45 おとといの日記を完成させてサーバに上げる。
08:50 これまでの洗濯物をロビーに預け、部屋に戻ってきのうの日記に取りかかる。
09:49 自転車で宿を出る。
09:59 遺跡の入口で人間100バーツ、自転車10バーツの入場券を買う。
「遺跡を観るために必要な教養に欠けているから遺跡にはそれほど興味は無い」と、おとといの日記には書いた。よって今日の行いは、正に見物、物見遊山、あるいは散歩である。それにしても、きのうのシーサッチャナーライの遺跡とおなじく、このスコータイの遺跡も、維持管理は素晴らしい。密林を切り拓き、数百年も眠っていた寺院を今日の姿にするまでには、どれほどの手間がかかったことだろう。
先ずは、東西に1,800メートル、南北に1,600メートルの、三重の土塁に囲まれた城内のほぼ中央に位置するワットマハータートの前に自転車を駐める。日干しレンガの参道に歩を進めつつ、かつての大伽藍を想像しようにも、その手がかりが僕にはまったく無い。増築と修復が繰り返されたという境内は複雑に入り組んでいる。その迷路のような赤土を踏むうち、柱と柱のあいだに仏の大きな立像に行き当たる。
取りあえずは、この仏像の手前にある基壇の影でひと休みする。と、タイ人なのだろうか、靴を脱ぎ、その像の足下にぬかずいて、ひとりのオジサンが礼拝を始めた。なるほど僕は遺跡を観るために必要な教養には欠けている、しかし仏像を拝むことはできる。そう気づいてオジサンが去った後は僕もその場所に入って、しかしオジサンとは異なって、日本式に手を合わせる。立像は寺院の左右に2基があったから、左側に続いて右側の方にもお参りをしておく。
きのうのシーサッチャナーライの疎林とは異なって、こちらの遺跡は圧倒的な緑に支配をされている。その木陰の道に自転車を走らせ、ところどころで停まり、あたりを見まわし、そしてこの”Sukhothai Historical Park”の中心部を出る。時刻は11時05分。宿までは自転車で10分。シャワーを浴びてひと休みだ。
僕が泊まっている”Thai Thai Skhothai Guest House”の居心地は、しごく良い。しかし食堂のある遺跡の入口までは、歩くて行くにはちと遠い。宿に帰ったばかりではあるけれど、自転車を借りて、先ほど走ったばかりの遺跡の入口ちかくまで引き返す。そして初日に目をつけておいた店で汁そばを食べる。
きのうの食堂のバミーも、また今日の食堂のバミーも、鹹水が強い割に茹でが甘い。茹でが甘いとは、麺を茹でるお湯が沸騰していないか、お湯の量が少ないか、という感じで麺がベタついている。バンコクでは美味い麺を食べようと思う。
タイでは、外へ出ると、部屋へ戻るたびにシャワーを浴びる。汗だらけになるからだ。そしてクーラーを効かせてベッドに横になる。その、横になったままの角度からガラス戸の外を見る。午後の日が真上から差して、床のタイルは火傷をするくらい熱くなっているはずだ、「こんなことをしている場合ではない」と跳ね起き、プールへ行く。そして日が陰るまでの2時間ほどを、本読みと水泳にあてる。
夜はまた、昼食を摂った付近まで自転車を走らせる。途中に市が立っていたのは、今日が土曜日の夜だからだろう。おととい、きのうに続いて同じ店の同じ席で本を読み、ラオカーオのソーダ割りを飲む。
朝飯 “Thai Thai Skhothai Guest House”の朝のブッフェ
昼飯 遺跡の東門に背を向けて参道の左側にある食堂のバミーナム(大盛り)
晩飯 “SUREERAT RESTAURANT”のパッガパオヌア、ラオカーオ”YEOWNGERN”(ソーダ割り)