2019.3.7 (木) タイ日記(1日目)
01:18 “BOEING 747-900″を機材とする”TG661″は、定刻に58分おくれて離陸。
00:34 ベルト着用のサインが消えるまで時間がかかったのは、雨による揺れのためと思われる。機体の設計が古いせいか、椅子の背もたれはそれほど倒れない。デパスのみで眠れるだろうかと試してみるが、いつまでも眠気が訪れないため、ハルシオンを追加する。
05:00 オフクロの遺したデパスとハルシオンによる睡眠は、常に3時間の熟睡を僕にもたらす。目覚めの気分はいつも爽快だ。
05:35 機はいまだ海南島のはるか手前を飛んでいる。
05:49 熱いおしぼりが配られるのは有り難いが、不織布のため、顔の拭き心地はいまひとつ。
06:01 朝食の配膳が始まる。
06:24 ダナンの海岸線を東から西へ横切る。ここを過ぎればバンコクまでは1時間で着く。
目の前のディスプレイで、タイ国内線の状況を調べる。スコータイへ飛ぶ07:00発の”PG211″に、期待した”DELAY”の表示は出ていない。
“TG661″は、出発時の58分の遅れを取り戻し、定刻ちょうどの日本時間07:25、タイ時間05:25にスワンナプーム空港に着陸。以降の時間表記はタイ時間とする。
05:52 パスポートコントロールの行列を整理する係のオネーサンに、バンコクエアウェイズのeチケットを見せつつ「スコータイへ行く」とタイ語で伝える。「4階ね」とオネーサンは教えてくれる。
05:57 パスポートコントロールを抜ける。
06:00 回転台からスーツケースが出てくる。奇跡的な速さに感謝する。
06:14 到着階の3階から出発階の4階へ上がり、バンコクエアウェイズのカウンターでチェックインを完了。
06:24 “Domestic Departures”の保安検査場を抜ける。
06:35 バンコクエアウェイズの搭乗券を持っていれば誰でも入れるラウンジのカウンターに着き、コンピュータを開いてwifiを探していると、いきなり僕の名前がアナウンスされる。
ラウンジはす向かいの”A2A”ゲートの前に立っていたオネーサンに名を告げる。タイ人らしいひっつめの髪を後ろに丸くまとめた、薄紫色のパンツスーツ姿のオネーサンは、黒いパンプスのかかとを鳴らしつつ、人っ子ひとりいない搭乗待合室を突っ切っていく。おなじ色のスーツを着たオバチャンが、僕の搭乗券を読み取り機に差し込んで僕に戻す。
オネーサンに従って外へ出ると、銀色のワゴン車が待っていた。「隨分とまぁ、忙しいね」と声をかけると、オネーサンは歯を見せず作り笑いを浮かべる。僕がワゴン車に乗り込むなり、オネーサンは「211」と、僕の乗るべき飛行機の便名をタイ語でワゴン車の運転手にを伝えた。
“PG211″のタラップを駆け上がる、僕は最後の客だった。席に着いて、ようやく事態が飲み込めた。タイに着いて2時間を遅らせたつもりの腕時計は、実際には3時間も遅らせてしまってあった。昨年の9月とおなじ過ちを、またも僕は犯していたのだ。次回は「しっかり確認」と書いたポストイットを腕時計に貼っておく必要があるだろうか。
06:55 “PG211″は滑走路へ向けてタキシングを開始。
07:10 “ATR72-600″を機材とする “PG211″は、定時に10分おくれて離陸。
「水に魚あり、田に米あり」と、その豊穣さを第3代ラムカムヘン王が謳った緑の大地を機窓から眺めるうち、“PG211″は定刻より4分はやい08:16にスコータイ空港に着陸をした。滑走路から遊園地にあるような壁の無いバスで運ばれた空港の建物は、喩えようもないほどの愛らしさだ。機内に預けた荷物は即、その建物にトラックで運ばれる。磨き抜かれたトイレの洗面鉢は、サワンカローク焼きによるものだった。
出口へ向かって数メートル進んだ右側に”SHUTTLE BUS”の看板が見えたため、側に立つオニーチャンに「旧市街まで」と、声をかけてみる。「ホテルはどちら」と訊かれて答えると「そこ、コースに入ってます」と、たくさんのホテルの書かれた板から、その名を指してくれた。片道300バーツは妥当なところだ。「往復ご利用いただくと、復路は20パーセント引きです」と、発券係のオバチャンがすかさず別の板を見せる。僕は貴重品入れからバンコクエアウェイズのeチケットを取り出し、それをオバチャンに渡す。オバチャンはコンピュータに何やらを入力し、3月10日の12時30分にホテルに迎えに来る復路のレシートを出してくれた。
旅の最中にはコクヨのA5のノートを持ち歩き、何時に何をしたかを書き記す。しかし目的地に着いたときばかりは安心して気が抜けるのか、それをし忘れる。南国に特有の、屋根だけのロビーにワゴン車が横付けされたのは、9時30分ころだったと思う。ワゴン車に乗っていたのは、僕のほかにはファランのカップルがひと組。この街にホテルがどれほどあるかは知らないけれど、彼らもまた、ここで降りた。
チェックインをする僕の横ではこれからどこかへ向かうらしいファランの女の人がベンチに腰かけ、特に隠す様子もなく赤ん坊に乳をくれている。フロントにはとても感じの良い女の人がふたりいて、そのうちのひとりは僕に「チェックインは14時です。それまでプールにいらっしゃいますか」と、バスタオルを手渡してくれた。即、スーツケースから水着とゴム草履と本を取りだし、教えられた先のプールへ行く。そしていくつも並べられた寝台に仰向けになり、14時まで本を読む。
14時すぎにフロントへ行くと、朝の女の人が鍵を持って、点在するコテイジのあいだを案内してくれる。僕が予約をした部屋は、10部屋ほどが収まっているらしい建物の2階にあった。僕はコテイジは、寂しい感じがしてそれほど好きでないのだ。チェックインの際にフロントに預けたスーツケースとザックと革靴は、それぞれに部屋の番号を書いた紙が付けられ、既にして運び込まれたいた。
「チークの小函」といった感じの部屋を早速、自分ごのみにする。自分ごのみにするとはつまり、4つある枕のうち3つを部屋の隅に片づけ、枕元のライトスタンドを書き物机に移す。そしてそのコンセントを、テレビのコンセントを抜いたジャックに差し込む。机の4分の1ほどを占領していたお茶のセットはお盆ごとベッドのサイドボードに移し、ドライヤーの載っていたお盆は乱れ籠代わりにする、というようなことだ。
スコータイは世界遺産に指定をされた遺跡の街だ。宿はその遺跡に近い旧市街にある。しかし僕は、その遺跡にはそれほど興味は無い。遺跡を観るために必要な教養に欠けているのだ。とはいえここまで来たら、たとえ物見遊山だとしても、遺跡には入っておくべきだろう。そう考えてチェックインの際にもらった絵地図1枚を持ち、ホテルの自転車を50バーツで借りて外へ出る。時刻は15時50分だった。
フロントの女の人は、遺跡までの距離を1.5キロと教えてくれた。ホテルから遺跡までの道は頭に入っている。スコータイの、このところの日中の最高気温は38℃。二毛作か三毛作の狭間にあるのか、耕されたまま乾ききった畑を両側に見ながら自転車は軽快に走る。しかし何かおかしい。地図によれば東西約1,800m、南北約1,600mの、三重の城壁に囲まれているはずの中心部分に、いつまでも辿り着かないのだ。
そのうち道が二股に分かれる。左は明らかに方角が違う。だったが右か。しかし標識には”Sukhothai Historical Park 3.7km”の文字がある。遺跡はホテルから1.5キロのところにあるのではなかったか。とにかく右の道を選んで進む。途中、遺跡は、まぁ、あるにはある。しかしいずれも小さく、本やインターネット上でよく目にするところのものではない。
炎天下、ときおりオートバイが通り過ぎるだけの田舎道にペダルを踏み続ける。行きつ戻りつするうち、今度は”Sukhothai Historical Park 2km”の標識が現れる。2キロ進んで何も見つからず、引き返すことになれば往復で4キロだ。しかし行ってみるしかない。するとやがて環濠の跡らしいところに行き着いた。これは土塁の一部だろう。なおもペダルを踏み続けると、城門が見えてきた。前後の状況から、どうやら南側の門らしい。ようやく自分の現在位置を特定できて、東の正門ちかくの入場券売り場まで辿り着く。迷走の原因は、宿と遺跡との位置関係を、ハナから間違えていたことによる。途中のお土産屋で1枚10バーツの絵はがき10枚を買いながら、ようよう宿に戻る。時刻は17時53分。全身、汗まみれである。
宿のちかくに食堂は無い。スコータイ旧市街にひとつだけある繁華街は、面白いことに、遺跡の城壁の中にある。宿から自転車を1キロほど走らせ、その城壁内に市場を見つける。外国人で鈴なりの食堂に興味は無い。市場なら地元の人のための食事場所があるだろうか。そう考えて自転車を駐めようとすると、宿から預かった鍵の、鎖の部分はあるが、南京錠が無い。どこかで落としたに違いない。
宿へきびすを返しつつ「ことによると」と、ふたたび引き返す。そして夕刻に絵はがきを買ったお土産屋まで戻り、そこから宿までの薄暗い道に目を凝らしつつ自転車を走らせる。南京錠は、どこにも落ちていない。最後の希望であった、部屋の中にも南京錠は見あたらなかった。
「失くした南京錠は弁償して、新しいチェーンキーを借りよう」と、ビニールのチューブで覆われた鎖のみを手にフロントへ行く。すると僕の姿を認めた女の人が、どこかで拾ったらしい南京錠を僕の目の前に差し出した。今回の旅は初日からあれこれあるけれど、結局のところ、僕は運に恵まれているらしい。
ふたたび遺跡へ向けて自転車を漕ぐ。そして現地の客しかいない食堂の、外の電柱に自転車を繋ぐ。時刻は19時03分。オジサンが勧めてくれた外の席には光がふんだんにあって、本を読むにはまったく差し支えがない。注文はソーダと氷、メニュに無いラーメンサラダ。そしてそのサラダを肴にして、持ち込んだ焼酎によるチューハイを、ゆっくりと飲む。
19時48分に宿に戻る。本日、自転車を漕いだ距離は20キロほどになるだろうか。シャワーを浴び、コンピュータを起動して今日の日記を書き始めると、間もなくwifiの電波が切れた。しばらくすれば復旧するだろうかと考えつつ、取りあえずはベッドに横になる。
朝飯 “TG661″の機内食
昼飯 “PG211″の機内食
晩飯 “SUREERAT RESTAURANT”のヤムママー、ラオカーオ”YEOWNGERN”(ソーダ割り)