2019.2.11 (月) ある豆板醤のこと
この日記に「百徳食品公司」でサイト内検索をかけると、およそ10日分の日記が現れる。この会社の豆板醤と辣椒油を僕は哀惜して止まない。なぜ哀惜かといえば、その上出来の調味料を手に入れることが、今では能わないからだ。否、能わなくはない、これらの品物を置いている九龍醤園は、今でも香港島にあるはずだ。しかしまさか豆板醤と辣椒油を手に入れるためだけに香港へ行くわけにはいかない。それ故の哀惜である。
夜、嫁の用意した鍋を目にして「これ、百徳食品公司の豆板醤で食いてぇな、でも、もうホンコンには行けねぇからな」と口にすると「ホンコン、行こうよ」と家内が言う。
香港の啓徳空港にはじめて降りたのは1978年11月のことだ。世界の多くの国とおなじく、日本もまたアメリカの文化に濃厚に影響を受けつつ第二次世界大戦後の数十年を経てきた。その日本から香港へ飛んだ僕は、その異国情緒に強く惹きつけられた。”Love is a many splendored thing”を観たアメリカ人とおなじである。
それほど魅了された香港ではあったけれど、旅に時間を割くなら更に南のインドシナ、それもタイで、今は過ごしたい。誰かあの、香港島の狭い坂を昇って九龍醤園まで行ってくれないか。豆板醤と辣椒油を買ってきてくれれば鮨くらいおごるのだから。
朝飯 切り昆布の炒り煮、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、焼きトマトを添えた目玉焼き、すぐきを薬味にした納豆、大根の麹漬け、メシ、揚げ湯波ともやしの味噌汁
昼飯 朝食のおかずを流用した弁当
晩飯 厚焼き玉子、胡瓜とトマトとレタスのサラダ、チーズの「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬け、豚三枚肉と厚揚げ豆腐と春雨の鍋、麦焼酎「ひゅうが晴」(お湯割り)、いちご