2018.12.21 (金) クリスマスはなぜめでたいか
朝のテレビは、スイッチが入っていても見ていないか、あるいは朝食を作る際の換気扇の音がうるさくて、アナウンサーの言うことはまったく理解できない。だったらなぜスイッチを入れるかといえば、まぁ、それが家内のクセなのだろう。
その、見るともなく、聞くともなくしていたテレビから「冬至」という言葉だけは耳にい届いた。僕は「ほう、今日は冬至か、年末もそこまで押し迫ったか」と、一瞬、虚を突かれた気持ちになった。これから夜は短く、昼は長くなる一方と思えば嬉しくないわけがない。
「クリスマスはなぜめでたいか」という議論を、23、4歳のころ、家内の親戚の家で交わした。その喧々がくがくのやり取りは「クリスマスは冬至に重なる。キリスト教などできる以前から、人々はこの時期を喜びと共に迎えていたはずだ」との、家内の叔母の意見により収束をした。
「誕生日はなぜめでたいか」についても僕は理解できずにいたけれど、それから数年後の「また1年、生き延びることができた、ということがめでたい」とオフクロに言われて得心をした。13歳の娘を病気で亡くしたオフクロの発した言葉となれば、その思いが軽いわけはない。
「正月はなぜめでたいか」ということを僕に的確に気づかせてくれたのは、ある年の元旦、朝日新聞に大きく載ったサントリーの宣伝上での高橋義孝の随筆によるが、長くなるのでここには引用しない。
「正月はなぜめでたいか」と自分なりに考えれば、それは正月が「クリスマスのめでたさ」と「誕生日のめでたさ」のふたつを持ち合わせているからだと思う。むかしの人はみな、ひとしく元日が誕生日だったのだ。
そんなことを頭に巡らせるうち、日の出の直前の、つまりもっとも美しい空は、いつの間にかありふれた、普通のそれへと変わっていたから「しまった、冬至の朝の写真を撮り損なった」と、いささか残念な気持ちになった。
いまだ冬至ではないと気づいたのは、それから数時間後のことである。
朝飯 納豆、なめこのたまり炊のフワトロ玉子、蓮根のきんぴら、じゃこ、切り昆布の炒り煮、広島菜漬け、メシ、椎茸と若布と揚げ湯波の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 玉葱とジャガイモのポタージュ、ハムとレタスと炒り卵のサラダ、“brivory”の食パンによるトースト、2種のジャムとレバーペースト、“Petit Chablis Billaud Simon 2015”