2018.10.19 (金) 白内障の手術(左目)
夜中に目を覚まし、絨毯張りの部屋からおなじく絨毯張りの廊下に素足で出て共同便所へ行く。時刻は3時だった。「3時まで眠れた良かった」と安堵しつつ部屋に戻り、これから朝までどう過ごそうかと考える間もなく眠りに落ちる。次に目を覚ますと7時を過ぎていた。
「東京に出張をする際にはドヤに泊まる」という人を知っている。気分が落ち着くのだという。「ドヤに泊まると気分が落ち着くとは、一体全体、どのような神経の持ち主だろう」と不思議に感じたけれど、自分もその「ドヤ」で7時間も眠れたではないか。驚くほかはない。
11時30分、正午、12時30分、13時と、散瞳つまり瞳孔を広げるための薬、抗菌薬、抗炎症薬からなる3種の目薬を注す。13時30分の点眼はオーミヤナナサト眼科のロビーで行った。火曜日と同じく手術を受けるに際しての同意書を提出する。やがて「こんな人、”KARA”にいなかったか」というようなオネーサンに案内されて手術室のある2階に上がる。
今日は手術を受ける人が多い。僕は15時をすこし回ったころ手術室に入った。
施術の手順は火曜日とまったく同じ。しかし僕には記憶ちがいがあったらしい。本日、胸に心電計のパッド、そして右腕に血圧計のための布が巻かれたのは、レーザーによる目の切開が終わり、次の、そこにレンズを入れるための手術が始められる前だった。目に液体が流水のように注がれ続ける感じがしたのは、レーザーで目を切られているときではなく、レンズを入れられているときだった。
最初の手術で、まぶたを開いたままにする輪を目の周りに嵌められ、機械が眼球に限りなく近づくと、正方形の角の関係に並んだ4つの光が見える。その真ん中の暗いところを見つめるよう院長に言われる。4つの光はやがて4つの黒い輪に変わる。その輪の細い線をなぞるように、黒く太い線がグルリと動いていく。今こそが、水晶体前嚢がレーザーにより切開されつつある数秒間なのかも知れない。
白濁し、かつ硬化した水晶体が綺麗さっぱり取り去られ、そこに3焦点のレンズを入れるための手術の最中には、機械の発する音が様々に変わることに気づいた。その音は「まだまだ」、「もうすこし」、「よし、そこ」と、レンズの正しい位置を報せるためのものだろうか。そしてこの手術は、火曜日よりもすこし時間を要したように思われた。しかし手術室から出て壁の時計に右目を遣ると、時刻は15時25分だったから、全体の所要時間は却って短かったようだ。
2階の椅子に座ってしばらくすると「ご気分はお変わりないですか」と水色のナース服のオネーサンに声をかけられ、1階に降りる。そして本日の手術費用を支払い、明日の診察時間を書いた紙を手渡されてオーミヤナナサト眼科を去る。
よその街へ行ったなら、特に夜は、その街で生まれ育った店で飲み食いをしたい。そして事実、どこででも、僕はそのようにしてきた。しかし今回「術後の1週間は禁酒」という制約を科されてみると、どうも地元の店には一歩を踏み出せない気持ちの芽生えることを知った。よい年をして「あの-、お酒、飲めないんですけど、よろしいですか」などとは訊きづらい。あるいは「アルコールフリーの飲物を置かない店だったらどうしよう」という気後れが働くのだ。
そして結局のところ、夜は駅ビルの中にある鮨のチェーン店に入り、いくつかの握り鮨を肴にノンアルコールビールを飲む。
朝飯 「ドトール珈琲農園」の「ジャンボンハムとたまごのサンド」、コーヒー
晩飯 「築地玉寿司」の平貝の握り、トロたく巻き、他あれこれ、”Asahi DRY ZERO”