2018.10.16 (火) 白内障の手術(右目)
7時、7時30分、8時と、散瞳つまり瞳孔を広げるための薬、抗菌薬、抗炎症薬と、3種の目薬を注す。各々の間隔は、成分を目に吸収させるため、3分間は置くよう注意書きにある。そして3回目の点眼が完了した8時10分に部屋を出る。8時30分の点眼は牛丼屋で、9時の点眼は本日、右目の手術をするオーミヤナナサト眼科のロビーで行った。
手術日の患者に義務づけられた5回の点眼を済ませたところで受付に声をかける。ややあって僕は、年配の男の人と共に呼ばれ、看護婦さんなのか視能訓練士なのかは知らないけれど、とにかく女の人に導かれ、手術室のある2階までエレベータで上がった。どこまでも綺麗な病院である。
2階の待合室で更に、瞳孔を広げるための目薬を10回ちかく注される。どうやら僕の目には、散瞳薬はあまり効かないらしい。やがてその瞳孔も開いたらしく、呼ばれて手と顔を、それぞれの専用洗剤で洗うよう言われる。それを済ませると、不織布による手術着を着せられ、おなじく帽子をかぶらされた。その姿で元の席に戻り、しばらく座っている。
僕と共に2階に上がった年配の男性は僕より先に手術を受け、やがて待合室に戻ってきた。顔に安堵の笑みを浮かべているところからして、手術はそう辛いものでもなさそうだ。
壁の時計を確認したわけではないけれど、僕が呼ばれたのは10時15分のころだったと思う。手術室に入り、指定された椅子に着く。この眼科をはじめて訪ねた7月17日以降、何度も診察してくれた院長が、手術着を着て立っている。
椅子はモーターにより動いて、僕のからだを仰向けにする。看護婦さんの指導を受けて、頭の位置は自分で調整する。やがて院長により、まぶたを開けたままにするための輪が右目に嵌められた。緊張していないといえば嘘になる。しかし恐怖は感じない。恐怖を感じたくないからこそ、人の手に握られたメスではなく、ミクロン単位の精密さで水晶体前嚢を真円に切るフェムトセカンドレーザー手術を選んだのだ。
看護婦さんが襟元から僕の胸に手を突っ込み、心電計のためのパッドを4つ付ける。別の看護婦さんは血圧を計るための布を右腕に巻き付け、更に右手の人差し指にクリップ式の心電計を取り付ける。僕の心臓の鼓動を知らせる電子音が、どこからともなく聞こえてくる。
右目に液体が注がれる。本日3回目の麻酔薬かも知れない。以降は別の液体が、今度は流水のように注がれ続ける。左目はマスクにより覆われ、右目だけが露出をしている。水晶体前嚢を真円に切開し、水晶体の硬化した濁りを破砕し、角膜を切るための機械が目のすぐ前まで近づいているらしい。
「すこし押される感じがします」と院長に言われて眼球が押されるのかと身構えたが、押されたのは眼窩の周囲に限られていた。僕の目には、万華鏡の中で回る墨流しのようなものが、形を変えながら見え続けている。今、正に、濁って固くなった水晶体が細かく砕かれ、吸い出されているところなのかも知れない。
「あと30秒です」と、横に立っているらしい看護婦さんが教えてくれる。「あと15秒です」に続いて「あと5秒です、もうすぐ終わります」と逐一おしえてくれる看護婦さんの声が、僕の心を落ち着かせる。
「レーザーの手術は上手くいきましたよ」と、院長が教えてくれる。僕は椅子に寝かされたまま、別の機械のところまで動かされていく。目は院長の指示により閉じているから、何も見えない。
さて今度は、積年の濁りを吸い出された右目に、最新式の3焦点レンズを埋め込む手術だ。こちらの方は、先ほどの手術の4倍くらいの時間がかかったように感じられたが、実際のところは分からない。目には、そのレンズがはめ込まれ、また位置を調整されるに従って、様々な光が見えてくる。
やがて、右目のまぶたを開けたままにするための輪が外される。「目を開けてみてください」と院長が言う。「私の手が見えるでしょう」と、院長は僕の目の前で手を振ってみせた。僕は「はい」と答えてふたたび目をつぶった。その右のまぶたには眼帯が絆創膏で貼られた。
手術室を出て壁の時計を見ると、時刻は10時40分だった。実際に手術を受けていた時間は20分もなかっただろう。院長も手術室から出てきて「レンズを入れる手術も上手くいきました」と声をかけてくれる。最初から最後まで、痛みはまったく感じなかった。
七里から大宮まで電車で戻り、ホテルの部屋に入って時計を見ると、時刻は11時50分だった。腹も減っていなければ昼食は摂らず、夕刻までベッドに仰向けになって安静にしている。
窓の外が暗くなり始めて「さて、今夜はどこで食事をしようか」と考える。そして結局はきのうとおなじ「いづみや本店」へ出かけ、3つ4つの肴と共にウーロン茶を飲む。
朝飯 「吉野家」の牛丼、生玉子、お新香、味噌汁
晩飯 「いづみや本店」のモツ煮、冷やしトマト、げそわさ、ハムカツ、ウーロン茶