2018.10.2 (火) タイ日記(8日目)
夜半から降り始めたと思われる強い雨は、明け方になっても一向に止む気配を見せなかった。ベランダへの戸を開いたまま、きのうの日記を書く。小一時間ほどが経つと、やおら、鳩が鳴き交わし始めた。雨はほとんど上がったらしい。
食堂棟は、僕のいる本館とは目と鼻の先にあるとはいえ、濡れながら走る気はしない。その食堂棟から出て大型バスに乗り込もうとしている団体客は、傘を差していない。それを確認してから40段の階段を降りて、食堂棟へと向かう。
団体客は、明るいうちは、いわゆる「首長族」の村や黄金の三角地帯、にわか作りでも観光名所になりうることを証明したこの街のドル箱「白い寺」などを回れるだけ回り、大きなレストランで夕食の後、ホテルに来るものと思われる。そして夜が明ければ6時30分から朝食を摂り、7時30分に出発をしていく。このことにより、日中のホテルはとても静かだ。
その静かなホテルで本を読む場合、僕にはプールサイドが最高の場所となる。しかし今日の空はいつまでも晴れず、気温は低い。だったら本は部屋で読むかといえば、それもつまらない。もうひとつ、持参した服の数は最小限で、今日はまた洗濯屋へ行かなくてはならない。
先週の金曜日に使った洗濯屋へ行くと、オカミは留守らしく、亭主はどうも「3日間は休み」と言っているらしい。すこし離れた洗濯屋へ向かう。こちらは料金こそすこし安いものの、できあがるのは明朝だという。そう言われても、預ける以外に方法はないだろう、現在、僕はきのうとおなじシャツを着て、下着はもはや着けていない状態なのだ。
洗濯屋から大きな通りに出て、そこからシリコーン市場へと入って行く。先週の水曜日にトムセーップを飲んだイサーン料理屋では、鉄の炉に炭火を熾し、鶏や魚や豚肉を焼いていた。その、豚のロース肉の照り焼きで白ワインや軽めの赤ワインを飲んだらどれほど美味かろう。しかし旅先では、それが中々ままならないのだ。
その真ん中に標識が立てられ、あるいは木の植えられた、だから本来の機能を果たすことは永遠にあり得ないタイに特徴的な歩道を辿って街を往く。途中、観光客を集めるお寺の前を通るも、お寺の名前は分からない。
この街に来た火曜日に休みだったおかずメシ屋「シートラン」は、今日も休みだった。そこから金色の時計塔に向かって1軒目か2軒目のやはりおかずメシ屋で、僕としては多めの昼食を摂る。今日は午前中にすこしばかり頭を使うことをしたため、腹が減っていたのだ。ホテルに帰る道すがら、いつもの酒屋でラオカーオ2本を買う。
午後はマッサージ屋”ARISARA”に電話を入れ、先週の木曜日に強烈な施術を施してくれたプックさんを予約する。カタカナで書けば「プック」なのだろうけれど、その発音は難しい。「ピーオーオーケイ」と、ローマ字による表記も併せて太ったオカミには伝える。
ふたたび降り始めた雨の中、傘を差して”ARISARA”へと向かう。今日はオイルではなく2時間のタイマッサージを頼んだ。プックさんは、僕の尻の上の方や膝の裏にある、1円玉か10円玉ほどのコリをたちまち探し出し、それを鍛え抜かれた親指や肱で責めていく。その痛みに思わず体を震わせると「ここはツボなのだ」というようなことをプックさんは言う。そんなことは分かっている。当方はただ、耐えるばかりである。
“ARISARA”を去るころには、雨は止んでいた。昨年の秋に使った、チェンライとチェンコンを往復するバスとすれ違いつつホテルに戻る。
ナイトバザールの奥のフードコートの椅子は、雨の溜まらないよう、すべて傾けて置かれていた。その野天のテーブルは避けて、屋根の下の席に着く。そして初日の晩以降は食べていなかったチムジュムを肴にラオカーオのソーダ割りを飲む。
いつもとは異なった道を選ぶと、大きめの器に満杯のパイナップルを10バーツで売る屋台があった。チェンライで収穫されるパイナップルの美味さは、タイ人の中でも有名らしい。しかし悲しいかな、たとえ美味くて安くても、それだけ沢山のパイナップルを僕は食べられない。
部屋に戻ってシャワーを浴びる。そして即、寝台に上がって明かりを落とす。時刻は20時を回ったばかりだ。
朝飯 “Diamond Park Inn Chiang Rai Resort”の朝のブッフェのサラダと目玉焼き、エスプレッソ
昼飯 イスラム寺のあるsoiとバンパプラカン通りの角から金色の時計塔に向かって2軒目か3軒目のおかずメシ屋の2種のおかず、豚のあばら肉とニガウリのスープ、ライス
晩飯 ナイトバザールのフードコート32番ブースのチムジュム、ラオカーオ”YEOWNGERN”(ソーダ割り)