2018.9.27 (木) タイ日記(3日目)
鳥の声が聞こえてカーテンを開ける。夜はいまだ明けてはいない。時刻は5時53分だった。そのままベランダへの戸を開け放つ。気温は高くもなく、また低くもない。
外が騒がしくなったため、日記を書く手を休めてベランダに出る。別棟に泊まっていたらしい団体が、ちょうど食堂棟に入っていくところだった。時刻は6時30分。1台、そしてまた1台と、大型バスが食堂棟に横付けをされる。団体客は1時間後の7時28分に、2台のバスに綺麗に収まってどこかへと去った。きのうの団体と、数分と違わない出発である。
いまだ空の暗いうちに書き、朝食の前に「公開」ボタンをクリックしたきのうの日記に、朝食を済ませてから手直しを加える。そして今度は今日の日記のここまでを書く。時刻は9時42分になっている。
きのうの日記には「明日は休養に勉めよう」などと書いたにもかかわらず、10時40分に目抜き通りに出る。そしてエジソンデパートはす向かいのカフェで、きのうに続いて自転車を借りる。僕はまだ、ラオカーオ”BANGYIKHAN”を諦めていない。
10時40分に自転車を借りたには訳がある。タイは日本にくらべてよほど、酒やタバコには厳しい。日中においては、酒は11時から14時までの3時間にしか買えないのだ。
先ずはバスターミナル前の”PRASOPSOOK ROAD”を東に進む。すると間もなく、ミャンマーとの国境メーサイからバンコクの戦勝記念塔までを結ぶ大動脈、国道1号線に出る。時刻は10時57分。そのまま南へ向けてペダルを踏む。
しばらく行くと左手に”Big C”の黄緑色の看板が見えてくる。金色の歩道橋の先、右側には”Central Plaza”の看板も、また見え隠れしている。時刻は11時01分。きのうの苦労は一体、何だったのだろう。ひとえに、僕の調査不足、あるいは「チェンライの地理は頭に入っている」とばかりに地図も持参しなかった、自分への過信によるものだ。
9年ぶりの”Big C”は懐かしかった。ラオカーオの売り場を訪ねると、量こそたっぷりあったものの、“BANGYIKHAN”は見あたらなかった。”BANGYIKHAN”は、バンコクではオンヌットのテスコロータス、あるいはピンクラオのパタデパートで手に入る。しかしオンヌットも、またピンクラオも、僕が泊まるバンラックからは、それほど近くない。
気を取り直して国道1号線を北へと戻る。バスターミナルへの道の入口を無視してそのまま進むと、左手に一軒家のマッサージ屋があった。店の名前は”ARISARA”。サンスクリット語だろうか。
興味を惹かれて自転車を乗り入れ、花壇を支える木の柱に前輪を鍵で固定する。6、7段ほどの階段を上がっていく。玄関には太った女将がいた。料金表のオイルマッサージは1時間で600バーツ。左手の椅子に腰かける僕を待ち構えていたように、紅色のタイパンツを穿いた女の人は湯の入ったたらいを床に置いた。女の人は、何かいわれがあるのだろう、泥と砂を混ぜたような石鹸で僕の足を洗った。
ふくらはぎの内側、そして太ももの外側を執拗に責め続けるという、これまで経験したことのない施術は満足のいくものだった。女の人には100バーツのチップを手渡した。先ほどまで愛想の良くなかった女将は、なぜかにこやかになっていた。
国道1号線からホテルまでの裏道を確かめながら、ふたたびパホンヨーティン通りに出る。そしてそれを越え、サナビーン通りも横切る。”SANKHONGNOI ROAD”を更に西に進み、soi4のパクソイをすぎてすぐの右側にある汁麺屋に自転車を駐める。注文したのはカノムジーンナムニャオムー。別皿の生のモヤシをすこし加えたら良い塩梅だったため、すべてを投入したところ、折角の麺の食感が分からなくなってしまった。何ごとも、過ぎてはいけない、ということだ。やがて屋根を打つ雨の音が聞こえ始める。
雨はいわゆる天気雨で、すぐに止むかに思われた。しかし一天にわかにかき曇り、とてもではないけれど、外へは出ていけない勢いになった。その場に立ちすくむ僕に、店の親切なオネーサンはステンレス製の丸椅子を持って来てくれた。35バーツの汁麺1杯を食べただけの「いちげん」の客に、タイ人とは思えない心遣いである。僕はその椅子で、40分ちかくは休んでいたと思う。
丸椅子から立ち上がり、オネーサンに礼を述べつつ椅子を店に戻したのが14時15分。クルマの跳ね上げるしぶきを避けつつカフェに着き、自転車を返す。今日のオニーチャンは、朝に預けた100バーツを引き出しにいれたまま、パスポートのみ返してきた。そこで「きのうは60バーツだったぜ」と言うと、折良くきのうのオネーサンが奥から顔を出した。「半日なら60バーツ」と、オネーサンが口を添える。僕は無事、お釣りの40バーツを手にした。
部屋に戻って時計を見ると14時41分。通常ならプールへ降りるところ、天気は冴えない。結局は夕方まで部屋にいて、主に本を読んで過ごす。
夕刻、きのう街の酒屋で買ったラオカーオ”YEOWNGERN”を持ち運び用のペットボトルに移そうとして金属のスクリューキャップを開けると、まるで輸入ウイスキーの「玉付き」のようなフタが瓶にはめ込まれていて、押しても引いても動かない。よってその瓶を手に1階へ降りると、廊下の向こうからホテルの従業員が歩いてきた。そこで彼に瓶の口を見せると「レストラン」と言う。
食堂棟に入って右側には大きな事務机がある。そこに近づき「これ、開けられますか」と問いかける。若いマネージャーは「そこまで真剣にならなくても」と思われる表情で「すこしお待ちください」と外へ出ていった。
そのまま立っていると、タイでは女でもウェイターと呼ばれるウェイトレスのひとりが何ごとかと近づいて来た。訳を話すと彼女はその瓶をどこかに持ち去り、外した内蓋と共にふたたび現れた。見事な手際である。礼を述べて本館への階段を上がっていくと、先ほどのマネージャーが先ほどの従業員を連れて食堂棟へ戻ろうとしていた。「ウェイトレスが開けてくれたよ。今夜はこれを持ってナイトバザールへ行くんだ」と説明する。「オー、ナイッ、パッサーッ」と、彼らは朗らかに笑い声を上げた。
間もなく落ちようとしている夕陽を真正面に望みつつ、懐かしい感じのする田舎の道を往く。昼でも人の少ないこの道だが、目抜き通りまではそう遠くない。そしてまたまたナイトバザールの奥のフードコートに席を占め、ひとりゆっくりと落ち着いて、飲酒活動に専念をする。
朝飯 “Diamond Park Inn Chiang Rai Resort”の朝のブッフェのサラダと目玉焼き、トーストとエスプレッソ、西瓜とパイナップル
昼飯 「パースック」のカノムジーンナムニャオムー
晩飯 ナイトバザールのフードコートのパッシーユームーサップ、ラオカーオ”YEOWNGERN”(ソーダ割り)