2018.9.26 (水) タイ日記(2日目)
チェンライの朝の空気は澄んでいる。このホテルには広い庭にランナー様式を模したいくつかの棟があり、そのうちの、僕は客のほとんどいない旧館に泊まっている。団体客は新館に案内をされているらしく、だからとても静かだ。
部屋のベランダから目と鼻の先の食堂棟の様子をそれとなく覗っていると、きのうからの団体客は、7時30分に大型バスに乗り込み去った。それを見届けてから、朝食を摂るため、その食堂棟に降りていく。
きのうの日記は9時までに完成させようと考えていたが、10時までかかってしまった。移動日の日記は、どうしても長くなるのだ。そしてようやく街に出て、先ずは馴染みの床屋で髪と髭を短く刈ってもらう。料金は、顔剃りと洗髪を含めて210バーツだった。
エジソンデパートのはす向かいに新しいカフェができ、そこでは自転車の貸し出しもしていることを、きのう街歩きの最中で知った。若い女の子に「2、3時間」と伝えて料金を訊くと、60バーツとのことだった。真新しく整備の行き届いた自転車であれば、その値段は妥当だろう。
ハンドルの前の籠に、気に入ったタイパンツと日本から持参した生地、そしてきのう旅行社の親切なオネーサンに書いてもらったタイ語によるメモを入れて、旧時計塔横の市場の前に自転車を停める。
きのう人のいなかった仕立屋には、男の老人と中年の女の人がいた。老人にタイ語のメモを手渡す。老人は老眼鏡をかけて、そのメモをゆっくりと読んでいく。そして女の人に二言三言なにかを言う。女の人は黙って首を横に振る。ここもまた、実は仕立屋ではなく、修理専門の店だったのだろうか。
老人は、きのう2度3度と歩いた、肉売り場を突っ切る通路まで僕を連れて行き、反対の方を指さした。そこはきのう、布地屋の、インド系のあるじが「仕立屋はそちらの方にある」と教えてくれたあたりだ。きのうは足を踏み入れなかった通路まで入ってみると、ミシンを置いた店があった。ふたりいたうちのひとりのオバサンにメモを差し出すと、オバサンは店主らしい、もうひとりのオバサンにメモの内容を伝えた。それを耳にしたオバサンはやはり、首を横に振る。もはやこれまで。
“OVERBROOK HOSPITAL”のちかくに、スーツやドレスを誂える店のあることは知っている。しかしそのような店ならバンコクにもある。タイパンツの仕立てについては、バンコク在住の同級生コモトリケー君に頼ることを決め、一旦、ホテルに戻ってコモトリ君にその旨を記したメールを送る。
次はラオカーオだ。僕の最も好きなラオカーオは”BANGYIKHAN”だ。3月にフアヒンのテスコロータスで2本を買い、今回は500ccのペットボトルに入れて持参したそれは、明日にも尽きるだろう。そして目抜き通りの酒屋に、きのうこの酒は無かった。
ホテルから自転車をこぎ出し、パホンヨーティン通りを一路、南下する。しばらく走ればチェンマイまで延びる幹線道路沿いに巨大なスーパーマーケット”Big C”の看板が見えてくるだろう、そう考えてペダルを踏むも、目指す”Big C”の文字はなかなか現れない。「あまり深追いをすると、帰ってこられなくなるぞ」と、山で遊んでいたころ身につけた赤信号が脳に点灯する。しかし遂に、”Big C”ではなかったものの、タイ人は「センターン」と鼻に抜けるように発音する”Central Plaza”の看板が見えてきた。
その看板にはまた”Tops”の文字もある。”Tops”はタイ人が「ロータッ」と発音する”Tesco Lotus”や”Big C”よりも高級に寄った品揃えで、ラオカーオは置いていない可能性が高い。しかしここまで来たなら行ってみよう。駐輪場に駐めた自転車に鍵をかけ、首に巻いた麻のバスタオルで顔の汗を拭く。
「センターン」の中の”Tops”には、しかしやはり、ラオカーオは1種類しか置かれていなかった。またまた20分ほどもペダルをこぎ続けてホテルやバスターミナルのある旧市街の中心部まで戻り、次男とチェンライに来たとき見つけた小さな道を辿って花市場に出る。そしてそこの、これまた行きつけのイサーン料理屋でトムセーップを頼む。
5年前に家内と来たときには、いまだ子供のようだった女の子が、今は立派に調理場を仕切っている。そのオネーサンが、僕に何ごとか声をかける。多分、米は付けるかと訊いているのだろう。腹はそれほど減っていないので「マイカーオ(ゴハンは要らない)」と答える。すると今度はオネーサンの発する問いに「カオニャオ」という言葉が混じった。先ほどの僕の返事は間違っていたらしい。「マイカオニャオ(おこわは要らない)」と返す。オネーサンはまた、僕に分からないタイ語を発した。辛さについてのことと想像して「タマダークラップ(普通でお願いします)」と頼むと、オネーサンは得心した様子で鍋に向かった。
それにしても、部屋に出入りするたび40段の階段を上り下りし、小さいとはいえプールを何往復も泳ぎ、1日に何キロも歩き、そして今日は自転車を1時間以上もこぎ続けた。いつもの僕からすれば大した運動量だ。それに加えて生姜やレモングラスや唐辛子をたっぷり含むスープを飲んで大汗をかいている。チェンライでの休暇は、健康に良いことずくめのような気がする。
自転車をカフェに返却し、きのうの酒屋でラオカーオ”YEOWNGERN”を買う。30分ほど前に雷鳴の聞こえたときには、頭上には青空が広がっていたから、何も心配はしなかった。しかし気づくといつのまにか涼しい風が吹き始め、日の光はどこにも無い。
ホテルの裏口へと続く田舎道を歩くうち、大きな雨粒が落ちてくる。建築資材屋のトタン屋根は、その雨粒を受けて大きな音を立てている。すんでのところでホテルに戻る。そして水量の極端に少ないシャワーを浴びつつ「明日は休養に勉めよう」と決める。
プールサイドには15時30分に降りた。先ほどのにわか雨はまるで幻だったように、見上げる空はどこまでも青い。「タイパンツの仕立てはどうにかなるだろう」と、コモトリ君から電話が入る。そして17時まで本を読む。
ナイトバザールのフードコートは、きのうにくらべて静かだった。ホテルで330ccのペットボトルに入れ替えるラオカーオは、きのうも今日も、1度では飲みきれない。ホテルには、20時より前に戻った。いつ、どこにいても、早寝早起き、である。
朝飯 “Diamond Park Inn Chiang Rai Resort”の朝のブッフェのサラダと目玉焼き、トーストとエスプレッソ
昼飯 花市場にあるイサーン料理屋のトムセーップ
晩飯 ナイトバザールのフードコートのヤムママー、品書きには”ANGUS BEEF”と書いてあった牛串の照り焼き、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)