2018.9.25 (火) タイ日記( 1日目)
今夜の機材は新しく、照明はタイ航空のイメージカラーに合わせたか紫色で、バブル期の遙か以前に流行ったサパークラブを思わせた。通路を進むと、僕の席69Hは最後尾の通路側で、ほぼ言うことは無い。
00:37 “AIRBUS A350-900″を機材とする”TG661″は、定刻に17分おくれて離陸。
00:45 ベルト着用のサインが消えたため、椅子の背もたれを最大に倒してデパスとハルシオン各1錠を飲む。
04:05 機がかなり揺れている。というか、今夜は離陸の少し後からほぼずっと揺れ続けたような気がする。そのため眠りは浅い。
04:45 完全に目が覚める。周囲の乗客はすっかり寛いで、なにやら賑やかだ。
04:48 洗面所へ行くため靴を履こうとしているところに朝食の配膳が始まる。
05:10 3つ並びの席の真ん中の空席に食べ終えたお膳を置き、洗面所で歯を磨く。
05:22 ダナンの海岸線が近づきつつある。ここを過ぎればバンコクには1時間で着く。
“TG661″は、定刻より18分はやい日本時間06:32、タイ時間04:32にスワンナプーム空港に着陸。以降の時間表記はタイ時間とする。
04:52 機から出て空港の通路を歩き始める。
04:54 国際線から国内線に乗り換えるためのパスポートコントロールに達する。
05:08 バンコクエアウェイズのカウンターでチェックインを完了。搭乗ゲートはA9。
04:14 パスポートコントロールを抜ける。
04:22 保安検査場を抜ける。
タイの空港の保安検査場では多く、靴を脱ぐことを要求される。靴を脱ぎ、靴下で床に立つと、床の汚れが靴下に付き、その汚れは靴の中底に付く。それが嫌だから裸足になろうとすると「そこまでは…」と係が僕を制止する。”No problem”とか適当に答えつつ靴下を脱ぐ。裸足になれば、床の汚れは足の裏に付く。しかしこのときの足の裏の汚れは、後に履く靴下の内側を汚すのみで、靴の中底は汚さない。僕が更に神経質であれば、専用のゴム草履を用意するところだが、そこまでは流石にしない。
指定されたA9ゲートに向かう途中、バンコクエアウェイズのラウンジが左手に現れる。同社のボーディングパスさえ持っていれば、誰でも入れるラウンジだ。ここの電源付きカウンターにコンピュータを開き、きのうタイ航空機に乗り込んでから現在までの日記を書く。このラウンジのwifiは、羽田空港のそれより格段に速い。
コンコースのトイレを使い、ラウンジに戻ると、入口のオネーサンが僕のボーディングパスを見て「もう搭乗が始まってますよ」と言う。そこに記されている搭乗所時刻は06:45。現在時刻はいまだ5時台。「せっかちもいいところじゃねぇか」と、今度はカウンターではなくソファに落ち着き、エスプレッソを飲む。
いよいよ席を立ってA9の搭乗口を目指す。通路を突き当たりまで進むと、しかしそこはA6だった。スワンナプーム空港で困ったことが起きたときには、薄紫色の上着を着た、タイ航空の職員を頼るべし。ちょうど前から近づいて来たオバチャンに「A9って、どこですか」とボーディングパスを見せると「オーッ」とオバチャンは一瞬、眉間に皺を寄せてから「一旦、A1ゲートまで戻ります。そこを左に折れて、下の階に降りてください」と、もと来た方を指した。それにしても、オバチャンが眉間に寄せた皺の意味は何だったのだろう。
オバチャンの説明は的確だった。A9ゲートに足を踏み入れるか入れないかのところで係らしきオネーサンが近づいてくる。そのオネーサンにボーディングパスを見せる。オネーサンは即、僕をカウンターに案内する。カウンターの係はパスのバーコードを読み取り、外に停まっているワゴン車まで僕を連れて行ってくれた。ワゴン車には僕のほかにもうひとり、中年の男が乗った。ワゴン車は間もなく走り出し、飛行機の下まで我々を運んだ。搭乗者名簿を手にしたオネーサンが外からワゴン車のドアを開けてくれる。僕はザックを背負ってタラップを昇り、機内へと入る。
古くて小さな飛行機の座席に着くと、気分はようやく落ち着いた。それにしても、なぜ皆、それほど急ぐのか。念のため、iPhoneの時刻表示と腕時計を確かめてみる。iPhoneが示すバンコク時間は7時19分、腕時計のそれは6時19分。バンコクに着いて2時間遅らせるべき時計の針を、僕は誤って3時間も遅らせていたのだ。バンコクエアウェイズの係は、よくもまぁ、僕を待っていてくれたものだ。
“AIRBUS A320″を機材とする”PG231″は、定刻に12分おくれて07:37に離陸した。雲の上を1時間ほども飛べば、タイも最北部に達する。眼下に「常春の国」は晴れている。機は定刻より10分はやい08:45にメイファールン国際空港に着陸をした。
タラップを降りて徒歩で空港ビルに入る。乗客たちに混じって通路を往くと、僕の胸の”BAGGAGE CLAIM”のシールに気づいた、唇にピンク色の紅を差したオニーサンに声をかけられる。同じように呼び止められたオバチャンとふたりでオニーサンの後に着いていく。見慣れた回転台には驚くべし、既にして僕のスーツケースが回っていた。国際線からこの国内線に乗り換えた乗客は、どうやら僕とオバチャンのふたりだけだったらしい。
チェンライでいつも泊まる”Dusit Island Resort”に部屋を確保できなかった事情については、7月4日の日記に書いた。はじめて泊まる”Diamond Park Inn Chiang Rai Resort”を、空港を出てすぐ左側にあるタクシー申込所のオネーサンは即、理解して運転手を呼んだ。運転手は僕のスーツケースをタクシーの際まで運び、丁寧な手つきでトランクに収めた。
ホテルには20分ほどで着いた。運転手には50バーツのチップを手渡した。レセプションのある建物からオニーチャンが出てきて僕のスーツケースを持つ。チェックインが済むと、オニーチャンはそのスーツケースを最上階の3階まで運び上げてくれた。このホテルにエレベータは無い。このオニーチャンにも50バーツのチップを手渡す。
部屋は予約時に指定したとおり3階の角部屋だった。デスクの真ん中に置かれたパナソニック製のテレビを持ち上げると意外に軽い。よってこれを箪笥の上に片付ける。4つもある枕は、そのうちの3つを部屋の隅のソファに重ねる。素早く部屋を、自分ごのみのそれに変えていく。
さて今回、僕は木綿と麻の混紡の、紺色の生地を持参した。手持ちのタイパンツは4本。そのうち特に形の気に入っている1本が、この5年間の使用により古びてきた。持参した生地は、この1本とまったくおなじものを、チェンライのどこかで作ってもらうためのものである。
その生地と見本のタイパンツをプラスティックの手提げ袋に入れて街に出る。そして馴染みの旅行社で、バンコクに移動する日のタクシーを予約する。その際、係のオネーサンに、この街でタイパンツを作ることについて話す。色の黒い、愛嬌のある顔つきのオネーサンは、僕の望むことを紙にタイ語で書いて、手渡してくれた。大いに有り難し。
タイの田舎の街は、その中心に時計塔を持つ例が少なくない。旧時計塔の横の市場まで歩いて仕立屋を探す。しかしどうにも見つからない。生地のほかに糸なども売る大きめの店に入ると「何かお探しですか」とでも言っているのだろうか、インド系のあるじに声をかけられた。仕立屋を探していると答えると、紙に何やら書いてそれを僕に手渡し「この先で、この紙を見せれば、誰かが教えてくれる」というようなことなのだろう、なにか説明しつつ通路の先を指で示した。
教わった通り、すこし先の、Tシャツなどを売る店のオバサンにそれを見せると、はす向かいの、調味料などを売るオバサンに何ごとか訊く。オバサンはもと来た方を指して「サイムー」と言う。「サイ」は「左」の意味だが「ムー」とは何だろう。
教わったあたりの、やはり布地を売る店の、耳たぶにピアスをした静かなオニーサンに先ほどのメモを見せる。オニーサンは腰掛けから立ち上がり、市場の中心部の、肉や魚を売る場所を横切り始めた。「そっちじゃないと思うけど」などとは言えない、そのまま着いていくと、市場の屋根の尽きるあたりに、異なる種類の3台のミシンを備えた店があった。礼を述べるとオニーサンは特に表情は変えず、自分の店の方へときびすを返した。
その仕立屋には、しかし人はいない。昼食中なのだろうか。当方の旅は、そう急ぐものでもない。わら半紙に青いインクの判を捺した名刺を箱から取り、出直すことにする。
既にして1時間以上も歩き続けている。腹も減っている。いま食べたいのは、何といってもバミーナムニャオだ。市場からホテルに戻る道すがら、ジェッヨッ通りの通い慣れた店に入る。今日のバミーナムニャオは、昨年のそれより隨分と辛い。気温はそう高くないものの、噴き出る汗が止まらない。ホテルに帰ると即、本日2回目のシャワーを浴びた。
プールサイドに降りたのは13時28分。本を読む合間に25メートルほどのプールを6往復する。やがて日差しが弱まって、涼しい風が吹き始める。部屋に戻って本日3度目のシャワーを浴びる。
行きつけのマッサージ屋”PAI”は、ホテルの裏口を出て西に真っ直ぐ歩けば、その道がパホンヨーティン通りと交わる左手前の角にある。そのガラス戸を押し、脚と肩のマッサージを頼む。係は馴染みのジェップさん。1時間のマッサージが終盤にさしかかるころ、テレビに国王賛歌が流れ始める。時刻は18時、ということだ。マッサージ代はバンコクでのそれより隨分と安い200バーツ。ジェップさんには50バーツのチップを手渡す。
“PAI”を出て、この街の目抜きであるパホンヨーティン通りを北上する。間もなく右手にナイトバザールの入口が見えてくる。この街での夕食は大抵、ナイトバザールの奥の、野天のフードコートで摂る。いつものオバサンの姿は見えなかったから、それがオバサンの店かどうかは確かめられなかったけれど、とにかくチムジュムを肴にラオカーオのソーダ割りを飲む。その楽しさ、気楽さは、何とも喩えようがない。
ホテルに戻る道の真正面に、大きな月が見えている。今夜は十六夜だったかも知れない。
朝飯 “TG661″の機内食、“PG231″の機内食
昼飯 「カオソーイポーチャイ」のバミーナムニャオ
晩飯 ナイトバザールのフードコート32番ブースのチムジュム、3月にフアヒンのテスコロータスで買った残りのラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)