2018.8.1 (水) オレの膝がそんなことになろうとは
膝の不調に初めて気づいたのは、もう何年前のことか分からない、脱ぎ履きの楽なことから、底の薄いドライビングシューズを1年ほど日常に使い続けたら、膝に違和感を覚えるようになった。しかしその違和感は、このときはいまだ、そう大したものでもなかった。
次に膝のおかしさに気づいたのは、これはその日時をはっきり覚えている。2013年7月12日、カトマンドゥから北東に直線距離10キロの山上にある尼僧院ナギグンバを出発点として、シヴァプリの頂上を目指すトレッキングからホテルに戻ったときだ。外側からくの字に曲がるような感触が右膝に発生した。痛みもある。エレベータを備えないホテルの階段を、僕はしばらく、ゆっくりとしか上り下りできなかった。
その後、膝の違和感は、ときおり顔を出しては沈黙することを繰り返して、だから僕も、それほど気にすることは無かった。それが、今月も半ばを過ぎるころから急に無視できない水準のところまで一気に高まった。朝、仏壇に線香を上げようとして正座をすると、膝のあたりに充満した血なのか漿液なのか、とにかく生ソーセージが茹で上がるに従ってはち切れんばかりに膨張するように、内側から皮膚を強く圧するような感触を覚えるようになったのだ。それは、生まれて初めて感じるものだった。
よって20日にオカムラ外科を訪ね、診察をしてもらうと「骨や筋に異常はないようです。消炎剤を処方しておきます。飲み終えてまだおかしかったら、また来てください」と、先生は僕の両膝のレントゲン写真を観察しながら言った。
小康状態を保っていた膝は、その消炎剤が切れると共に、ふたたび痛み始めた。右膝は兎に角として左膝の状態は前よりもひどく、今朝は仏壇には、立て膝で線香を上げた。
本日のオカムラ先生は僕の左膝の周辺をズボンの上から触って「水が溜まってますね、抜きましょう」と言った。「オレの膝がそんなことになろうとは」と驚いた。ウチではおばあちゃんが、膝に水の溜まる癖を持っていた。そして、それを抜く注射はたいそう痛いとも聞いていた。
6時間後には入浴が可能なこと、また、注射の痛みはからだを楽にすることにより弱くなると、別室に呼ばれた僕に説明した看護婦さんは、そのままカーテンの向こうに消えた。やがて、ステンレス製のお盆に複数の器具を載せているのだろう、カチャカチャという音が聞こえてきた。
診察台に仰向けになってしばらく待っていると、オカムラ先生があらわれて「ちょっと痛いです」と言った。医者の言う「ちょっと痛い」とは、どれほどの痛みなのか。覚悟しながら受けた注射は、しかしどうということもなかった。ここ数十年のあいだに医療器具は長足の進歩を遂げた。オカムラ先生の腕も良いのだろう。
「これだけ採れました」と先生が見せてくれた直径25ミリほどの注射器には、長さ120ミリほどの黄色い液体が抜き取られていた。左膝には同時に、鎮痛剤と消炎剤とヒアルロン酸が注入されたという。
炎天の駐車場に出て、小走りに走ってみる。何も問題は無い。今朝は、それさえできなかったのだ。しかし油断はできない。僕の膝は、何年か後には人工関節になっているような気もする。
朝飯 南瓜の煮物、人参の炒りつけ、納豆、乳茸と茄子の炒りつけ、めんたいこ、らっきょう「夏太郎」、メシ、揚げ湯波とピーマンの味噌汁
昼飯 乳茸と茄子のつゆで食べる冷や素麺、トマト酢の水割り
晩飯 “Parrot”のチキンカントリー、“evodia 2016”