2018.7.17 (火) 人口水晶体
2010年9月18日の夜、バンコク発チェンライ行きのタイ航空機の座席にメガネを置き忘れた。当方は既にしてホテルに着いてしまっていたが、律儀なタイ人、親切なタイ人、事務能力に優れるタイ人などの連携により、メガネはその晩のうちに戻った。
2014年10月6日の朝、バンコク発羽田行きのタイ航空機の機内に、やはりメガネを置き忘れた。気づいたのはいまだ空港を出る前で、ちかくの職員に伝えると、まるで見えないベルトコンベアで運ばれたかのように、メガネはその場で戻った。
2016年6月13日の朝、ヤンゴン発成田行きの全日本空輸の機内に、またまたメガネを置き忘れた。このときは業界の親睦旅行で席はビジネスクラスだったものの、メガネは遂に見つからなかった。
それから1週間後の6月20日に馴染みのメガネ屋を訪ね、新調を頼んだ。紛失したメガネは、2013年にレンズを入れ替えたものだった。あらためて検眼をすると、3年のあいだに視力がかなり落ちていることが分かった。そして「メガネは現在の視力に合わせてお作りしますが、眼科の診察も、お受けになった方が…」と、メガネ屋の親切なオニーチャンは遠慮がちに僕に伝えた。
およそひと月半の後に訪れた市内のアクツ眼科では「白内障が始まっている。白内障の手術は、むかしはできるだけ引き延ばした。しかし今は、いつ受けても早すぎることはない、という方向に、眼科医の意見も変わってきている」と、アクツ先生は教えてくれた。そうは言われても、生まれてこの方、僕は歯医者を除いては体にメスの入ったことがない。決心はなかなかつかなかった。
それから2年が経とうとする今年の5月に「人生が変わる白内障手術」という本をウェブ上で目にしてamazonで買った。そしてすぐに読んだ。自分の目は、人により巧拙に差の出る「手に握ったメス」ではなく、できればコンピュータに制御されたレーザーで切ってもらいたい。
その本の著者ヤマザキケンイチロー先生が院長を務めるオーミヤナナサト眼科に、本日14時すぎに遂に足を踏み入れる。そして7台ほどの機器で検査を受けた。最後の検査はヤマザキ先生が受け持った。結論としては、僕の白内障はかなり進んでいて、特に右目の水晶体は硬化が始まっているという。眼球を切られることは恐ろしい。しかしいつまで放置をするわけにもいかないだろう。
朝飯 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、納豆、茄子の塩水漬け、巻湯波の淡味炊き、温泉玉子、生のトマト、鰊の山椒漬け、ごぼうのたまり漬、メシ、浅蜊と長葱の味噌汁
昼飯 「セブンイレブン」の2種のおむすび
晩飯 「シンスケ」のあれこれ、「両関」の大吟醸(冷や)、おなじく純米酒(冷や)