2018.6.27 (水) 帰国
目を覚ます。機内の灯りは落ちている。そこではじめて、離陸をする前に眠ってしまったことを知る。後ろの席を確かめてから、椅子の背もたれを最大に倒す。目の前にテーブルが引き出され、何かが置いてある。手で探ると、それはペットボトルの水とサンドイッチだった。タイ航空の機内で、眠っているあいだに深夜食を供されたのは初めてのことだ。灯りを点けることは憚られる。その、中身の知れないサンドイッチを闇の中で咀嚼し、水を飲む。時刻は1時30分。そしていつの間にか、また眠りに落ちる。
僕以外のすべての人たちは既にして起きている、あるいは働いている、そのような空気を半覚半睡のなかで感じてはいるものの、できるだけ長く眠っていたい。しかしそういうわけにもいかないだろうと諦めて目を開く。すぐ前の席まで朝食が配られてきている。時刻は3時35分。
「なんとかと、なんとかの、どちらがよろしいでしょう」と朝食の中身について客室乗務員に訊かれても、僕は目を覚ましたばかりだ。一瞬、ことばを失ってから「隣の人と同じもの」と、素早く答える。目の前のディスプレイのスイッチを入れて航路図を選ぶと、機は九州の南部沖を北西に向かっているところだった。
“BOEING 747-400″を機材とする”TG682″はタイ時間04:49、日本時間06:49に羽田空港に着陸。以降の時間表記は日本時間とする。
07:15 パスポートコントロールを抜ける。
07:29 回転台からスーツケースを拾い上げる。
「スーツケースを小さくしない限り荷物は減らせない」と、それまでの大きなゼロハリバートンを機内持込サイズのリモアに変えたのは、2014年9月のことだ。以来、荷物を空港まで、あるいは空港から宅急便で送ることはしなくなった。しかし今日は東京での仕事を控えている。スーツケースを曳いて歩くことは避けたい。
そういう次第にて、到着ロビーで宅急便を扱う場所へ向かって歩いて行く。途中で見覚えのある顔に遭遇して、じっと見る。先方も僕の視線に気づく。おたがいに「あっ」と声を発して立ち止まる。バンコクMGの第4期に同卓で勝負をしたチクラコージさんだった。二言三言を交わして右と左に分かれる。
宅急便を扱う場所にはJAL系のABCとANA系の、ふたつの窓口があった。JAL系には10名ほどの列。ANA系にはひとりの待ち客もいない。過去に使っていたのはABCの方だ。そして料金表はABCの方にのみ掲げられている。ANA系の料金を確かめるのは面倒だ。即、ABCの列に並ぶ。僕の番が来るまで3分もかからなかった。20kg以下の荷物の栃木県までの送料は1,910円だった。
08:05 京急線の車両が羽田空港国際線ターミナルを発車。
ふと気になってプラットフォームの駅名を見ると京急川崎だった。「川崎ということは、反対方向に乗ってしまったのだろうか」という曖昧な疑問が確信に変わる。即、ザックを抱えて出口へと向かう。プラットフォームに降りる直前に「すいません、すいません」と、背後から声をかけられる。ボックス型シートの窓枠に置き忘れた僕のメガネケースに気づき、それを持って追いかけてくれた人の声だった。
品川、渋谷を経て表参道には9時5分に着いた。取引先と約束した時間は10時。骨董通りのドトールコーヒーに入り、facebookのアルバム「2018.06 タイ」に画像1枚を上げる。
仕事場で落ち合った長男と、地下鉄千代田線で北千住まで来る。13:12発の下り特急に間に合うと計算しつつ切符売り場まで来ると、何やら大きな立て札がある。それは大袋駅での人身事故を報せるものだった。
13:12発は運休。その次の13:42発は運行するかどうかを近くに立つ駅員に訊くと、確約はできないという。それはそうだろう。そそくさと昼食を済ませて常磐線に乗る。新幹線を使っても使わなくても、帰社できる時間は大して変わらない。上野から宇都宮線に乗り、JR今市には16時すこし過ぎに着く。駅には家内がクルマで迎えに来てくれていた。
終業後、レジを締めて18時40分に食堂に上がる。そそくさとハイボールを作り、これで喉を潤す。19時前に町内の公民館に入る。そして10日後に迫った八坂祭の、大御輿の運行についての話し合いを持つ。21時すぎに帰宅してようやく夕食を摂る。以降のことはよく覚えていない。
朝飯 “TG682″の機内食
昼飯 「小諸蕎麦」のたぬきそば
晩飯 焼売、山芋のすり下ろし、鶏肉と夏野菜の揚げ浸し、小松菜のおひたし、芋焼酎「愛子」(ソーダ割り)