2018.6.21 (木) タイ日記(1日目)
羽田空港国際線ターミナル105番ゲートちかくに、異常にうるさい姉弟がいた。両親に連れられたこの二人はどこへ行こうとしているのか。「クアラルンプールなら有り難い」と考えていたところ、家族はやがて、僕が乗るとおなじ、タイ航空機への列に並んだ。
飛行機の中に入って最後尾を目指す。ここまで来てなお姉弟の、特に弟の騒ぐ声が間近に聞こえる。「間近ということは、真ん中あたりだな、助かった」と胸をなでおろしつつ最後尾よりひとつ手前の自分の席に近づくと、驚くべきことに、家族は僕の席の真後ろ、つまり最後尾に陣取っていた。機の真ん中あたりで騒いでいると感じられたのは、その子供の声があまりに大きかったからだ。
乗客が頭上の荷物棚にスーツケースを入れるなどしているうちに用を足すためトイレに入る。便器の蓋を開けると、どこかから羽田に飛んで来た際の乗客のものらしい吐瀉物が、洗いきれず便器にこびりついている。うるさい子供といい便所の汚れといい、上々の、旅の出だしである。
“AIR BUS A350-900″を機材とする”TG661″は、定刻に13分おくれて00:33に羽田空港を離陸した。
00:43 ベルト着用のサインが消えると同時にデパスとハルシオン各1錠を飲み、座席の背もたれを最大に倒す。後ろの席は子供だから、遠慮をすることはない。それにしても、この機の客室乗務員は、仕事熱心なことは分かるが、離陸後の飲物を出すにしても、1秒も無駄にしまいと機内を走る。その制服の袖が通路側に座る僕の二の腕をこする。後ろの子供はいまだ声を出している。普段とは異なって、なかなか眠りに入ることができない。
03:55 目を覚ます。
04:36 熱いおしぼりが配られる。
04:42 朝食の配膳が始まる。
04:55 ダナンに近づきつつある。バンコクまで1時間の目安の地点である。
05:55 機体から車輪の降りる音がする。
“TG661″は、定刻より48分も早い日本時間06:02、タイ時間04:02にスワンナプーム空港に着陸。以降の時間表記はタイ時間とする。
04:21 機から出て空港ビルに入ると、目の前にパスポートコントロールへの坂があった。この広大な空港で歩く必要がほとんど無いとは、初めてのことだ。
04:28 パスポートコントロールを抜ける。
04:39 10番の回転台からスーツケースを拾い上げる。
04:50 地下1階のエアポートレールリンクの乗り場に降りてベンチに落ち着く。
さて、ここまではとんとん拍子できたものの、エアポートレールリンクの始発は6時。それまではここで、大人しく過ごさなければならない。日本から持参した新聞を開く。
05:25 予期せずエアポートレールリンクの構内の明かりが点く。利用客が次々と、改札口へのゆるい坂を下り始める。僕も遅れまいと、その後に続く。ガラス張りの窓口は開いていない。いつもはここで、1,000バーツ札で切符を買って細かいお金を作るのだが、仕方がない。マッカサンまでの運賃35バーツを自動券売機に入れる。
05:30 エアポートレールリンクがスワンナプーム空港を発車。マッカサンで下車し、アソークディンデン通りにかかる歩道橋を東へ渡る。エスカレーターで地下に降りてペッブリーからMRTに乗る。スクムビットで下車して隣接する駅アソークからBTSに乗り換え、6時24分にトンローに着く。運賃の総額は74バーツ、所要時間は54分だった。
昨年の日記を見てみると、空港からエアポートレールリンクでパヤタイ、そこからBTSでトンローという、遠回りでも乗り換えは1回のみという経路を使って、トンローまで53分で着いている。このときの運賃合計は99バーツ。乗り換えの手間を考えれば、どちらが得かと計算するほどのことでもない。
今回のホテル”ADELPGI FORTY-NINE”は、バンコクMGの会場からそれほど遠くないホテルをウェブ上に物色していて見つけた。規模は駿河台の山の上ホテルほどで、こぢんまりとしている。屋上には小さいながらインフィニティプールを備え、宿泊した人のレビューはほとんど良好なものばかりだった。
トンローの駅からスーツケースを曳きつつ4分ほど歩いて、その”ADELPGI FORTY-NINE”に至る。フロントの若い男の人によれば、チェックインは14時だが、10時30分には部屋が用意できるという。
スーツケースからゴム草履を取り出し、脱いだ靴と靴下は持参したショッピングバッグに納める。そしてザックと供にベルボーイに預ける。人の良さそうなベル係には40バーツのチップを手渡しておく。良い仕事をしてくれそうな人、良い仕事をしてくれた人には、祝儀を切らなくては気が済まないのだ。
本日、したいことは以下の4つ。すべてできるか否かは不明である。
1.明後日におばあちゃんの祥月命日を控えて、お寺にお参りがしたい。
2.バンコクでは手に入りづらいラオカーオを、オンヌット駅前のテスコロータスで買いたい。
3.髪と髭を刈りたい。
4.足裏の角質取りと、脚と肩と背中のマッサージを受けたい。
先ずはトンローの大通りに出て北へと歩く。機内食から4時間を経て腹が減っている。トンローsoi8のちかくまで来てようやく、向かい側の歩道に飲物屋台を見つける。道を渡って席に着き、タイ語で注文を通すと、オネーサンは鶏卵を指して何ごとか言う。タイでは玉子入りのコーヒーがあるらしい。それは断って、砂糖とミルクを加えるよう頼む。蒸し暑いバンコクの路上で飲む甘くて熱いコーヒーには、何とも言えない味わいがある。
メニュに熱いコーヒーは書かれていなかったため、アイスコーヒーと同じ25バーツを差し出すと、オネーサンはそこから15バーツのみつまみ上げた。
ふたたび西側の歩道に戻り、トンローの大通りの北詰、つまり終点まで赤バスに乗る。その終点はセンセーブ運河にかかる橋の下にある。橋を渡って水上バスの船着場ソイトンローに降りる。通勤の時間にかかっているのか、来た舟は満員にちかい。それを見送って、次の舟に乗る。
舟はすれ違う舟の立てる波を乗り越え、盛んにしぶきを上げる。そしてそのしぶきは容赦なく当方の顔に霧となって吹きつける。ただのしぶきではない、排泄物も吐瀉物も生活排水も屋台の残飯汁も、何もかも入り交じった泥水のしぶきである。すぐ脇に垂れ下がったロープを引いて、しぶき除けのビニールシートを持ち上げる。
プラトゥーナムの船着場から西は運河の幅が狭いため、舟を乗り換える必要がある。昨年はソイトンローからプラトゥーナム、プラトゥーナムから終点のパンファーリーラードまでの切符を、それぞれ買った。しかしバンコクを旅する人のウェブログにて、切符は通しで買えることを知った。ソイトンローからパンファーリーラードまでの乗船代は13バーツだった。
パンファーリーラードからワットサケーットまでの道は簡単だ。船着場の上にかかる白い橋を渡りつつ左手を見上げれば、即、金色の尖塔が目に入ってくる。
どこまでも平地と湿地の続くバンコクには珍しく、ワットサケーットは小山の上にある。というか、寺自体が小山の体を為している。外国人の入場料は20バーツから50バーツに値上がりをしてた。
344段の階段は段差が低いため、すこしも苦にならない。売店で蓮の花と線香3本と仏像に貼るための金箔のタンブンセットを買う。価格は僅々20バーツだった。そうして幾体もある仏像の前でいちいちひざまずき、頭を床まで近づけお祈りをする。ワットサケーットの本堂を吹き抜ける風は、とても爽やかだ。
寺から降りて先ほどの白い橋を渡る。時刻はいまだ、9時をすこし回ったに過ぎない。
実はここへ来る途中、舟の終点が近づきつつあるとき右手に、ボブ・マレーの顔を「バカじゃねーの」と驚くほど大きくプリントした服ばかりを売る店が目に飛び込んできた。直後に着いた船着き場には”TALAD BOBEE”の文字があった。あのボーベー市場とは関係ないものの、そこには服屋がたくさん並んでいた。その「バカじゃねーの」という服屋を探して東へ歩いてみることにする。通りの名は”Thanon Damrong Rak”だったかも知れない。
通りの右側には建具の材料屋が軒を連ねている。大きめの道をひとつ渡って更に往く。建具の材料屋の奥には運河があるはずだ。20分ほど歩き続けて建物と建物の隙間から運河沿いに出てみる。すこし先には果たして先ほどの、服屋の連なりが見えてきた。そして目指す「バカじゃねーの」という服屋で遂に、「バカじゃねーの」という色柄のシャツ1着を買う。仕入れ値は30バーツほどと思われるけれど、言い値の150バーツは値切らなかった。ここで時刻はようやく9時45分。今日は隨分と長い1日になりそうだ。
タラートボーベーからソイトンローまで舟に乗る、ひと桟橋すくない距離にもかかわらず、運賃は往路より2バーツ高い15バーツだった。センセーブ運河の船賃は、時として桟橋に表示されている数字より安く済むこともある。その理由については分からない。
橋の下から乗った赤バスがセンターポイントトンローを過ぎたあたりで降りて道を渡る。パンの”PAUL”や小籠包の「鼎泰豐」が入る高級ショッピングモール「エイトトンロー」の、大通りを隔てた向かい側のセブンイレブンに向かって右に、そのガオラオ屋はある。
歩道から数段の階段を上がりつつ「ガオラオは大盛り、ゴハンは不要」とオバチャンに伝えて、建物と建物の隙間に並べられたテーブルに着く。豚の腎臓、肝臓、脾臓、小腸、肺、血のにこごりなどが澄んだスープから盛り上がるこのモツ煮は僕の大好物で、トンローに来ることがあれば、とてもではないけれど、素通りはできない。時刻は10時30分だったが、これが今日の昼食になるだろう。
トンローの通りであれば、どこでも停まってくれてどこでも降ろしてくれて7バーツの赤バスにふたたび乗り、スクムビット通りの終点で降りる。そこからホテルのあるソイ49に向かって西に歩きつつ、小さなローカールスーパーマーケットの前で足を止める。セブンイレブンとは異なって、タイの食品の、それも生の匂いが漂っている。店の名は「杜泰興」。興味を惹かれて中に入ると、その酒売り場には何と3種のラオカーオと、他にラオカーオらしい酒があった。店主らしいオバチャンに訊くと、そのラオカーオらしい酒もラオカーオだという。
ラオカーオは、これまで飲んでもっとも美味いと感じている”BANGYIKHAN”を3月のフアヒンで余分に買い、今回は、それをペットボトルに詰め替え持参してきている。しかしこの店で初めて目にした”LION KING”という銘柄のものも、予備として買っておくこととする。価格は145バーツ。
「ラオカーオは私の母も、毎日すこしずつ飲むんですよ。それにしても、あなたは静かで綺麗なタイ語を話しますね」とオバチャンは英語で褒めてくれた。しかし自分の発言を振り返ってみれば、この店で僕の使ったタイ語は「ラオカーオ」のみである。まぁ、それでも褒められて悪い気はしない。
部屋に戻ってシャワーを浴び、新しいポロシャツに着替えて外へ出る。トンローから隣のプロンポンまでBTSで移動し、駅近くのワットポーマッサージに入る。そして足裏の角質取り30分、脚のマッサージ60分、肩と背中のマッサージ30分のセットを頼む。価格は630バーツ。僕はタイに入った途端に現地の通貨に慣れて、この630バーツが6,300円に感じられる。
この店のマッサージ師は、おおむね太ったオバチャンだ。僕に付いた、その中でもひときわ大きなオバチャンは「ここが凝ってる」の「エーウ」の発音を直してくれた。そして30分のあいだずっと、僕の左肩ばかりを「ケン」と言いつつ強く揉み続けた。「ケン」とは「固い」という意味だろうか。オバチャンには100バーツのチップを渡して店を出る。
時刻は16時を5分だけ過ぎている。今週末に開かれるバンコクMGの講師タナカタカシさんからは先ほど、スワンナプーム空港に着いた旨の電話があった。待ち合わせの18時30分までは充分な時間がある。天気は曇りに転じて歩道に太陽の直射は無い。「歩いてホテルまで帰れるんじゃねぇか」と考え、スクムビット通りの北側の歩道を東へ進む。
7分ほど歩いて床屋の前を通り過ぎる。店の中では店主らしい中年男が年配客の耳を掃除している。「なるほど耳掃除か」と引き返して、その床屋”NIN BARBER”に入る。待ち客用の椅子に座っていると、奥からオネーサンが出てきて笑いかける。そして店の入口にいちばん近い鏡の前に僕を呼んだ。
椅子に着く前に鏡の前のバリカンを指す。そして「ソーン」と言いつつ髪と髭を触る。タイの床屋では、これだけで注文は完了である。「ソーン」は「2」を意味するタイ語で、僕の髪と髭は、その「2」の下駄を履かせたバリカンで刈ると、ちょうど良いらしい。料金は看板のとおり、散髪は200バーツ、耳掃除は80バーツだった。
オンヌットのテスコロータスに行かなければ手に入らないと考えていたラオカーオがホテルの近くで買え、またどの店に入ろうか迷っていた散髪が、これまた通りすがりの店で完了した。今日は驚くほど効率の良い日だ。ホテルには、床屋を出てから5分で着いた。
本日2度目か3度目かのシャワーを浴び、18時10分にホテルを出る。トンローのマンゴー屋ちかくの停留所から赤バスに乗ったのが18時20分。待ち合わせの18時30分には充分に間に合うと計算していたものの、夕刻の渋滞に阻まれて、センターポイントトンローのロビーには、数分遅れて着いた。待っていてくれたタナカタカシさん、そしてオーサトテツヤさんと挨拶を交わして即、外へ出る。そして反対側に渡る。
トンローsoi9にあるイサーン料理屋「セープスッチャーイ」は、バンコクMGのたびに寄る好きな店だ。ここで楽しく飲み食いをして、旅の初日を締める。
ふたたび東側の歩道に渡り、折良く近づいて来た赤バスに乗る。車掌に10バーツを渡して3バーツの釣りを受け取ったところまでは覚えている。しかしそれ以降の記憶はどうも、定かでない。
朝飯 “TG661″の機内食
昼飯 エイトトンロー向かいのセブンイレブン右にある店のガオラオ(大盛り)
晩飯 「セープスッチャーイ」のソムタム、ヤムプラムック、ガイヤーン、コームーヤーン、チムジュム、ラオカーオ”LION KING”(ソーダ割り)