2018.6.10 (日) ベトナム日記(4日目)
目覚めてしばらくは横になっている。「5時は過ぎただろうか」と、漠然と考える。ようやくその気になってサイドボードに置いたiPhoneを取り上げ見ると、時刻はいまだ2時22分だった。ことほど左様に僕の目覚めは早いから、朝食までに腹が空く。それを幾分かでも和らげるため、旅先にはインスタントのスープを持参する。
そのスープのための湯沸かしポットはあるものの、それが置かれたデスクのちかくにコンセントは無い。部屋の中のコンセントは、ベッドのサイドボード、ベッド足元の床の上、そして洗面所の3個所のみだ。
ポットを洗面所まで運んでコネクタをコンセントにはめ込もうとすると、コンセントの位置が高すぎるのか、はたまたポットのコードが短いのか、とにかくそのままでは湯が沸かせない。よってテレビの脇からティッシュペーパーの箱を持って来て、それをポットの台にする。このような間抜けな仕事ぶりは、どうやらタイだけのものでもないらしい。
と、こういう余計なことを書いているから日記が長くなる。旅行中は何時何分に何をしたというメモを付けている。今回の日記は、そのメモを転記したのみの箇条書きに徹しようとも考えたが、そういう訳にはなかなかいかない。
このホテルには「バーはあっても、バーテンダーも客もいない」とか「マッサージルームはあっても、マッサージ師も客もいない」などちぐはぐなところが多々あるものの、wifiの速度は高い。おとといの日記のための画像はたちまち、ワードプレスのライブラリに追加をされた。
08:13 専用車でホテルを出る。
08:20 富豪のドゥエンさんが山を削り、その土で本土との間をつないだドンチャウ島に入る。ドゥエンさんはこの道路を作った功により、島のかなりの部分の開発権を得たという。
08:23 観光船の切符売り場に入る。
08:50 430艘ある観光船のうちの1艘に乗って出港
ハロン湾はおとといのチャンアンとおなじく、石灰岩による台地が気の遠くなるような時間を経て沈降し、あるいは浸食されてできた、奇景を誇る地域だ。今回のツアーでは、この世界遺産を見物するため、ハノイから4時間もかけて、それも豪雨を突いて来た、というわけである。
09:41 このハロン湾を象徴する「闘鶏岩」に達する。なにもこんなものを「象徴」にしなくても良いではないかと感じるけれど、あるいは「象徴」とは「作っておけば、何かと便利」なものなのかも知れない。
10:06 1993年に鍾乳洞の発見された島に近づく。
10:13 洞窟嫌い、鍾乳洞嫌いとしては気が進まないものの、鍾乳洞”DONG THIEN CUNG”に入る。僕以外に気づいた人がいたかどうか、小さく茶色いネズミがそこここにうごめくため、齧歯目の不得意な人は入らない方が無難と思われる。
10:45 数百人の観光客が牛歩する巨大な鍾乳洞から抜け出す。
10:55 鍾乳洞の島を離れる。
11:05 船上での昼食が始まる。いくら世界遺産の奇景とはいえ、すこし眺めれば珍しくもなくなる。食べ物が出てくれば尚更のこと、窓の外に目を遣る人はいない。
12:00 蝟集する船と船との隙間に舳先を突き込みつつトンチャウ島に着岸。チャンアンの小舟といい、ここの観光船といい、いくら世界遺産とはいえ、いささか供給過剰ではないか。
12:07 専用車でトンチャウ島を離れる。
13:30 ジャコウネココーヒーを売るお土産屋で30分の休憩。
サイゴンが陥落したのは1975年4月30日。ガイドのヅォンさんが生まれたのは同年の9月。1975年から1990年までは配給制で、庶民の生活は苦しかった。1990年にようやく、輸出できるところまで米の生産量が回復をした。インフレーションが最も更新した年は750パーセントの物価高騰。そのハイパーインフレーションは、2度のデノミネーションによりようやく落ち着いた。貸出金利が20パーセントを超えた年には倒産件数が増えた。1993年、1994年あたりからようやく、海外の資本がベトナムにも入ってきた。現在の預金金利は6パーセントで貸出金利は9パーセント。そんな話をヅォンさんに聴きつつ、専用車はようやくハノイの街に入る。
15:34 2年前にできたイオンモールに入店。日曜日とあって、巨大な店内は大変な賑わいようで、特に子供の多さが尋常でない。本の紀伊國屋には大きな机が用意され、売り物の本であっても自由に読むことができる。フードコートで食べられているのはほとんど、鶏の唐揚げである。
「アジアは生きよう、生きようとしている。それに対してヨーロッパは死ぬまい、死ぬまいとしている」と木村治美は「曙のイスラマバード」に書いた。「死ぬまい、死ぬまいとしている」のは、今や日本も同様ではないか。
17:28 夕陽に浮かぶホーチミン廟に近づく。僕は今回、ホーチミンの家に行きたくて行けなかった。平日の午後なら、そのホーチミンの家は割と楽に見られるらしい。しかし自分がハノイに裏を返すことは、あまり考えられない。続いて近くの一柱寺も見る。
18:18 きのう昼食を摂った”Sen Xanh”とおなじく洒落た雰囲気の店で夕食。雰囲気は洒落ているものの、後から店内の螺旋階段をゾロゾロと昇っていったのは、我々とおなじ日本人観光客である。
22:38 ノイバイ空港着
ビジネスクラスラウンジの隣にマッサージルームを見つける。施術表の価格はドルのみだったが、訊けばドンでも払えるという。
奥に案内されて60分のコースを受けていると、白いズボンに青いアオザイの、つまり空港の職員が近づいて「間もなくボーディングの時間です」と言う。「えっ、ちょっと待って」と慌てる間もなくオネーサンは去った。そしてふたたび来て、同じことを口にする。よってポーチからボーディングパスを取り出し「僕の搭乗時間は23時30分ですよ」とそれを見せると「申し訳ありません、人違いでした」と、オネーサンは頭を下げた。一体全体、誰と僕とを間違えたのか。
僕が受けたコースのドルによる価格は30ドル。ドンなら685,050ドンと言われる。50万ドン札2枚を差し出すと、釣り銭として手渡されたのは30万ドンのみ。残りの14,950ドンは戻ってこない。マッサージのオネーサンにチップとして手渡した10万ドンは、まったく惜しくない。しかしベトナムのこの「端数切り」は、僕には結構なストレスになる。
ドンを持っていなければ、市民の生活に浸透していくことはできない。しかし今回のような団体旅行では、そもそもそのような機会はほとんど無い。そうであれば円からドンへの両替はせず、外国人の来店を想定した施設や店ではドルを、そしてドルを受けつけないスーパーマーケットではキャッシュカードで支払うことが、今のところはベトナムでの、もっとも上手な支払い方法であることが分かった。帰る直前に分かっても遅い。サイフにはいまだ、481,000ドンが残っている。
22:47 マッサージルームを出て、となりのビジネスクラスラウンジのソファに収まる。
23:50 ボーディングが開始をされる。
朝飯 ”Mithrin Hotel”の朝のブッフェのオムレツ、サラダ、パン、コーヒー
昼飯 観光船”BAI THO JUNK 37″の鶏挽き肉と椎茸のスープ、茹で海老、青梗菜のスープ、蟹の甲羅揚げ、揚げ春巻き、白身魚のトマト煮、烏賊と玉葱と人参のソテー、空心菜炒め、ライス、バナナ
晩飯 “INDOCHINE”のフォーガー、生春巻き、焼き飯、その焼き飯を添えた豚のカツレツ、鶏の照り焼き、茄子と挽き肉の炒め煮、海老と玉葱のトマト煮、緑豆のぜんざい、ビール”333″