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清閑 PERSONAL DIARY

2018.6.8 (金) ベトナム日記(2日目)

半覚半生という沼の中から水面に浮かび上がるようにして目を覚ます。時刻は4時47分だった。起きて、出国前に出だしの部分のみ書いておいたきのうの日記に、その後のことを加える。次に画像を追加しようとすると、エラーが出て、それが叶わない。「wifiでは画像の重さに対して通信の容量が追いつかないのだろうか」と考え、備えつけのLANケーブルを使ってみる。画像は無事に、ワードプレスのライブラリに追加をされた

08:57 専用車にてホテルを出る。

ホテルは新市街にある。このあたりは、ガイドのヅァンさんが結婚して親に家を建ててもらった1997年には田畑の目立った地域で、そのころの土地の価格は日本円にして1平方メートルあたり2万円、それが今は35万円。やはり新市街のマンションは1平方メートルあたり17万円。ドイモイが実施されたのは1995年、その効果が現れはじめたのは2000年。というような話を聴きつつクルマは渋滞を抜け出すと南へ向けて一気に速度を上げた。

10:53 ベトナムが中国の支配を脱して初めて王朝を打ち立てたホアルー着。
11:05 初代皇帝ディン・ティエンホアンの霊廟を見学
11:30 ホアルーを出る。
11:50 お土産屋とレストランの複合施設”ANH DZUNG”に着。
13:00 “ANH DZUNG”での昼食を完了。

13:10 石灰岩の山と洞窟が奇怪な景色を作るチャンアン着。
13:20 鉄製の小舟に4名が乗って岸を離れる。

僕は湖沼も鍾乳洞も好きではなく、だからこのような場所は二重苦ながら、コースに含まれている以上は、それに従わなくてはならない。ベトナム特有の三角帽をかぶったオネーサンは、後方で櫂を静かに動かし、たくみに舟を操る。

洞窟をくぐると見上げるばかりの奇岩の山。そしてまた洞窟をくぐることを繰り返す。蝉の声、鳥の声、櫂が水をかく音の他は、何も聞こえない。舟は人が地上を歩くよりもすこし高い速度で水の上を滑っていく。

14:25 舟のツアーを完了。オネーサンは手こぎの舟を、5、6キロは走らせたのではないか。この景勝の地に舟の数は1,500艘。漕ぎ手に仕事が回ってくるのは、繁忙期を除いては1週間に1度程度。それ以外の日は農民をしているとは、後からヅァンさんに教えてもらったことだ

14:43 専用車がチャンアンを出発。汗にまみれたシャツは1時間を経ても乾かない。
16:30 ハノイの旧市街でクルマを降りる

しばらくはヅァンさんと共に、活気にあふれる旧市街を散策する。このあたりの土地の価格は1平方メートルあたり400万円。商売がしやすく、またベトナムでは固定資産税も相続税も安いことにより、ここに住む人たちは、ほとんど他所には移らないという。

17:05 スーパーマーケットでウォッカハノイ2本を買う。300cc入りの価格は42,900ドンだから、邦貨にすれば1本あたり209円。2011年に次男とフーコック島へ行った際にも、僕はこればかりを飲んでいた。

18:50 お土産屋を経由してベトナム風フランス料理の店に案内をされる。客のほとんどは日本人。旅行社が便利に使っている店と思われる。

20:55 ホテルに戻る。汗をたっぷり吸い込んだシャツを脱ぎ、熱い風呂に入る。
22:30 隣の部屋のジンボタカシさん、続いて理事長のアオキナオキさんから電話が入り、理事長の部屋での飲酒に誘われる。
23:35 理事長の部屋のバランタイン、続いて僕のウォッカハノイを飲むうち、いつの間にか眠ってしまう。何度目かに目を覚ますと「無理せずお帰りください」とアオキさんに言われたため、部屋に戻る。通りを往くクルマのクラクションも、8階の部屋で聞く限りは、それほどうるさいものでもない。


朝飯 “BAOSON INTERNATIONAL HOTEL”の朝のブッフェのオムレツとサラダ2種のパンコーヒーフォーガー
昼飯 “ANH DZUNG”の其の一其の二其の三其の四其の五其の六其の七
晩飯 “Maison Vie”のパンサラダブロッコリーのポタージュ白身魚のポワレバナナのクレープ、ダラットの白ワイン、同赤ワイン

  

上澤卓哉

上澤梅太郎商店・上澤卓哉

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