2018.5.1 (火) 炎天の花に水を足す
墓参りは僕の場合、故人のためではなく、自分の満足のためにしている。墓参りには様々な作法や流儀がある。それらの個々には「その通り」と思えれば従う。「どうでもいいじゃねぇか」と感じれば従わない。
あるとき、あるお墓に集団で参った。僕はその集団を代表して、束になった線香に火を点けた。当然のことながら線香は炎を発し、その炎はなかなか消えない。それを鎮めようとして息を吹きかけると「それはいけない」と、集団のひとりに注意をされた。まったくうるさい船頭だ。そんなことは分かっている。しかし手で扇いだくらいで収まる炎ではない。結局のところ、その炎は僕のカーディガンを焦がし、カーディガンには穴が開いた。
「献仏不假香多」という張り紙を先日、麻布の禅寺で目にした。「仏は香の多さを求めない。見た目や形にはこだわらず、心を込めることこそ大切」という意味らしい。心を込めることは難しい。しかし「だったら線香はひとり1本で充分じゃねぇか」と納得することはできた。そして、これからは束になった線香に火を点けることは止めようと決めた。
「お墓に供えた花は、枯れて汚くなる前に片づけるべき。それができないなら、たとえ上げたばかりの花でも、お墓から去るときに下げて構わない」と、これは先日ある人から聞いた。「なるほど」と思った。しかし上げたばかりの瑞々しい花を、その10分後、20分後にゴミ置き場に移すのも勿体ない。
このところ晴れて暑い日が続いている。ウチのお墓は幸い、家から自転車で5分のところにある。よって先月28日に供えた花には、きのうも今日も、その花立てに水を足している。黄色い菊は、いまだ数日は保つだろう。
朝飯 納豆、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、ほうれん草の玉子焼き、生のトマト、らっきょうのたまり漬、じゃこ、山椒の佃煮、メシ、揚げ湯波と大根の葉とトマトの味噌汁
昼飯 うどん
晩飯 「三彩」のあれこれ、生ビール、3種の日本酒(冷や)