2016.10.22 (土) タイマー
すべての人には神経過敏と無神経が同居をしている、かどうかは知らない。しかしすくなくとも僕においてはそうである。
先々週の金曜日、サパーンタクシンからスワンナプーム空港へ向かう高速道路で「徒歩の方がマシ」という渋滞に巻き込まれたときには「飛行機に乗り遅れたら、そのときはそのときだ」と、特段、焦りもしなかった。しかしたとえば麺を茹でるときなどは1秒2秒が気になってタイマーが手放せない。お茶を淹れるときも同様である。
朝、湯を沸かすと先ずはそれを仏壇用の湯飲みに注ぐ。その湯飲みが手で持てないほど熱くなったら、つまりそれだけ湯がさめたら、それを僕の湯飲みに移して更にさます。このとき空になった仏壇用の湯飲みには、また湯を足しておく。一方、僕の湯飲みも手で持てないほど熱くなったら、ここではじめてその湯を急須に入れる。そして30秒に設定しておいたタイマーのボタンを押す。
そのあいだに仏壇用の湯飲みから僕の湯飲みに湯を移し、タイマーが30秒を報せたところでそれを急須に足す。ここで今度は60秒に設定したタイマーのボタンを押す。60秒が経ったら急須のお茶を仏壇用の湯飲みに注ぎ、そのお茶と水を仏壇に供えて線香を上げる。
食堂に戻ると、僕のお茶は急須の中でいささか濃くなりすぎているけれど、それは仕方がない。ここでようやく朝のお茶にありつく。
機関車型ボイラーの複雑な操作手順はからだで覚えられて、しかしちょうど良い塩梅にお茶を淹れるについてはタイマーに頼らざるを得ないとは、一体全体、どのような理由によるものか。毎朝、不思議に感じつつ、明日もまた、おなじ手順でお茶を淹れるのだ。
朝飯 納豆、蕪のぬか漬け、厚揚げ豆腐とほうれん草の淡味炊き、生のトマト、目玉焼き、牛蒡のたまり漬(試作品)、メシ、茄子とトマトの味噌汁
昼飯 弁当
晩飯 「三彩」の懐石10品コース、”Dom Perignon 2004″、獺祭「磨き二割三分」(冷や)、森伊蔵(オンザロックス)