2018.4.22 (日) 傘抜き
隠居が建てられてからどれほど経つかは知らない。「子供のころは、玄関を上がってすぐ右の6畳で、よく遊んでいたんだよ」と、2013年に102歳で亡くなったおばあちゃんから聞いたことがある。とすれば、百数十年前の建物であることは確かだ。
この、味噌蔵のある庭の隠居で、月にいちど朝食の会を催している。今日は東京や埼玉からの、5名のお客様に恵まれた。その「伝統家屋でいただく、なんでもない日の食卓。」において、僕のする仕事は味噌汁の出汁を引くことのみだ。それ以外はすべて、長男と家内が手を尽くす。
土曜日は平日の2倍、日曜日は平日の3倍、店は賑わう。そのため僕は事務室や製造現場からなかなか抜け出せず、10時をすぎてようやく、朝食のお客様にご挨拶をすることができた。以降はしばらくのあいだ、この旧い建物や、たまり漬の黎明期のことにつき、お話をさせていただく。庭の枝垂れ桜には、わずかに花が残っている。晴天の下に障子を開け放たれた家屋は、現代の住まいに慣れた身には、どこか知らない土地のものにも見えるから不思議だ。
午後一番で、義理のある人の告別式に列する。その帰りに回転鮨で昼食を済ませ、駐車場でクルマに乗り込んだところで「しまった、今日は17時から宴会だったじゃねぇか、昼はむしろ、抜いた方が良かった」と気づいても、もう遅い。
しばらく日常の仕事に戻って後は、先ほどまでの黒いスーツではなく、紺色のパンツにおなじく紺色の替え上着を合わせる。初夏とも感じられる気温の中を歩いて小倉町の竹美荘に至る。
17時から始まったのは傘抜きである。傘抜きとは、春の大祭では神として渡御を先導した金棒曳きが、傘を脱ぐことによって人間に戻る、その儀式を指す。普段は責任役員として定時の少し前に着くところ、今回は当番町の一員として、会場にはすこし早めに入った。
募集を始めたときにはひとりしか希望者のいなかった金棒曳きに、もう一人が加わって「対」になってくれたのは幸いだった。また、目立たないところで力を出し続けてくれた婦人会の人たちが、今日は客としてゆっくり過ごすことができた、それも僕には嬉しかった。
なお、これは余談ではあるけれど、竹美荘の締めの蕎麦は、いわゆる「ツウ」がうんちくを傾けるようなたぐいのものではないものの、大層、美味い。
朝飯 しもつかり、切り昆布の炒り煮、納豆、油揚げの網焼き、カキ菜の「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬け、生のトマト、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐とうるいの味噌汁
昼飯 「はま寿司」のあれや、これや、それや。
晩飯 「竹美荘」の其の一、其の二、盛り蕎麦