2018.3.28 (水) タイ日記(6日目)
きのうの夜が遅かったため、今朝の目覚めはさすがに5時台だった。朝食会場は7時から開く。きのうはその直後に会場に降りた。今日はすこし遅らせて8時に川沿いに出る。
今朝のテーブルには卵料理の小さなメニュが載せられていた。よってそこから家内はエッグベネディクト、僕はエッグフロレンティーンを注文する。
南の国では、植物は大抵、巨大になる。しかし鳥類は、おしなべて小さい。インドのカラスは日本のカラスとオナガの中間くらいの大きさだ。我々の足元でパンくずを探す鳥は、雉鳩に見える。しかしいくら南国とはいえ、その鳥は雉鳩にしてはいかにも小さい。博覧強記の人と共に旅をしたら、このような時に何でも教えてくれて楽しいだろうか。あるいは教えられすぎて、却って煩わしくなるかも知れない。
朝食から戻ると、部屋の温度は隨分と上がっていた。冷房はきのうの夜から効いていない。今朝、部屋のドアを開けると、部屋から廊下に降りる短い階段の下にたまたま部屋係がいた。よって冷房について伝えると、彼は部屋に入ってそのスイッチを触り、自分の力ではどうにもならないことを悟って「技術者を呼びます」と、深刻そうな顔をした。
家内は暑さに耐えかねてアーケードに降りた。部屋にはふたりの修理係が来る。係はこのホテルのガーデンウイングに特有の、高い床の鎧戸を解放する。そこにはこの部屋のあれこれを制御する機械が入っていた。次は脚立を立て、天井付近の冷風の吹き出し口を調べながら「ホントに暑いですね」と、紺色の作業着を身につけたオニーチャンは笑った。
「女房は堪らずアーケードに逃げたよ」と答えると、オニーチャンはしきりに謝るので「気にすることはない」と慰める。冷風は間もなく元のとおりに流れ始めた。「ご親切に感謝します。どうぞ奥様をアーケードから呼んで差し上げてください」と、オニーチャンは笑顔で去った。ホテル側の不備に対する修理のため、オニーチャンふたりにチップは渡さない。
旅行中に最も嬉しいのは「予定が無い」ということではないか。何もしないことこそ旅行の醍醐味と、僕は感じている。旅行中にすることといえば「してもしなくても構わないこと」がほとんどだ。
きのうの日記を完成させ、しかし公開ボタンはクリックしないまま、昼をすこし過ぎたあたりでプールサイドに降りる。そして15時過ぎまで本を読む。今日のプールは割と空いている。運良く木の下に無人の長椅子があった。日影は本を読みやすくする。
ところでこのホテルにチェックインをしたとき、部屋まで案内をしてくれたコンシェルジュは、チェックアウトの時間を正午と我々に伝えた。しかし前回のそれは15時だった。念のため、その日の日付2016年6月28日をノートに書いてロビーに降りる。そして初めて見る顔のフロント係に「今回のチェックアウトも15時まで遅らせることは可能か」と訊いてみる。フロント係の叩くキーボードは、我々の過去の履歴を検索しているのだろう。そしてそれほど待たせることなく「今回も15時にさせていただけます」と、確約をした。その旨をコンピュータに残すよう、僕は彼に頼む。
そのまま家内と外へ出る。16時を回っている。そしてホテルに隣接する、こちらは公共のための桟橋オーリエンテンで、オレンジ旗の舟を待つ。オレンジ旗は快速で、昼はほとんどこれのみがチャオプラヤ川を上り下りしている。
その舟に乗り込み、料金係のオネーサンにサパーンブットまで二人と告げる。料金はひとり15バーツだった。舟がサパーンブットに着く。舟は混み合って、立っている人もいる。家内を急がせると「メモリアルブリッジって書いてあるよ」と、桟橋の標識に目を遣って不審がる。グズグズしているヒマはない。「現地語の名前はサパーンブットなんだよ」と答えつつ人をかき分け、舟を下りる。
その桟橋から外の通りに出て北へ歩くと間もなく”YODPIMAN RIVER WALK”と大きく書いた門が見えてきた。「何だろう、行ってみよう」と進むと、そこには花市場の川沿いのみを小ぎれいにした、ケンタッキーフライドチキンやスターバックスコーヒーなどが入る建物があった。それを脇目にしつつ、花市場の中に入って行く。狭い通路を手押し車が何台も我々を追い越していく。築地の外国人のように、地元の人の邪魔をしてはいけない。前ばかりか右も左も後ろも気にしつつながら、その市場を足早に出る。
家内が行きたいと言ったショッピングモール「オールドサイアム」は、地図によれば、サパーンブットから歩けなくはないものの、炎天にその距離をこなすのはすこしつらいと思われる位置にあった。しかし「オールドサイアム」という英語の名を、トゥクトゥクやタクシーの運転手に理解できる発音で伝える自信は僕にはなかった。何しろこちらでは”central”が「センタン」、”oriental”は「オリエンテン」なのだ。よって「オールドサイアム」については、その場所のタイ語による地図を、iPhoneに予めスクリーンショットしておいた。
先ずは1台のトゥクトゥクに声をかけ、地図を見せる。しかしその爺様は、地図をちらりと眺めて「分からない」という顔をした。それを見ていた、すこし若い別の運転手が我々を呼ぶ。またまたiPhoneの地図を差し出すと、彼はそれをしばらく見つめて「分かった」という風に頷いた。料金は100バーツ。
1階は鶏卵素麺などお菓子の実演販売、2階は生地屋の並ぶ、その古いショッピングモールから通りに出る。本日の僕の失敗は、こんなこともあるだろうと、ガイドブックから引きちぎってきたこのあたりの地図を、ホテルの部屋に置き忘れてしまったことだ。
走ってきたトゥクトゥクを呼び止め、ヤワラーのソイテキサスへ行くよう言う。このあたりには一方通行が多く、よってトゥクトゥクに乗るにも、そのことをよく考える必要がある。
先ずは広い床を持つ鍋屋「テキサス」のもっとも奥まで進み、18時30分に予約を入れる。次はこの通りにあって、もっともまともそうなマッサージ屋を選んで足のマッサージを1時間だけ受ける。タイに来て手入れを怠っていたため切れたカカトのアカギレも、数度のマッサージにより油を塗り立てられるうち、治ってしまったようだ。
客が入っていない時間には蛍光灯の明かりも寒々しい「テキサススッキー」だが、時間が経つにつれ満席に近づき賑やかになってきた。我々は日本式に、煮えづらい具やダシのでる具から先に鍋に入れていく。しかしタイ人は概ね、何でもかんでも一度に投入をする。だから周りのテーブルのそれにくらべれば、我々の鍋の中身は景気の良さには欠ける。この店の甘めのナムチムに対して、僕は醤油とナムプラーを混ぜ、更にニンニクと唐辛子とマナオの絞り汁を調合し、自分ごのみのものを作った。
1982年の僕の定宿「楽宮大旅社」は、この中華街にありながら、あのころは、構内に両替所のあったファランポーンと宿を往復するばかりで、今夜のような賑やかなところには、ほとんど出ることがなかった。それが今としては、とても不思議に感じられる。
路上の屋台に観光客の群がるヤワラーの一方通行は、宿に戻るには不利だ。よってすこし北に歩いてチャルンクルン通りでタクシーを拾う。ホテルまでのメーターは47バーツ。これに対して運転手には70バーツを手渡す。
部屋に戻ると花と手書きのカードが届いていた。部屋の果物は、当方が食べるに従って、1日のあいだに何度でも補給をされる。そしてシャワーを浴びてガウンに着替え、即、就寝する。
朝飯 “Mandarin Oriental Hotel”の朝のブッフェのコーヒー、サラダその1、エッグフロレンティーン、サラダ2皿目、ドーナツとチーズ、ソムオージュース
晩飯 「テキサススキ」のタイスキ、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)