2018.3.27 (火) タイ日記(5日目)
きのうとそれほど変わらない時間に目を覚ます。日記を書きながら5時を過ぎると、外にときおりストロボのような光が走る。それほど気に留めていなかったものの、その光はそのうち音も伴うようになった。雷である、雨も強く降ってくる。
7時をすぎて朝食会場の”The Verandah”へ行き、なかなか良い席に案内をされる。しかし客席とチャオプラヤ川のあいだには、雨を避けるための透明の幕が降ろされている。雨は既にして上がっている。家内が頼んで係にその幕を巻き上げてもらう。すると、途中まで巻き上げられた幕のすぐ下、ホテルと川とを隔てる手すりに白人の子供が近寄って、ホテルの人から手渡されたパンの耳を川に投げ始めた。
そのパンを、水の中から上がってきた鯉か鱸のような姿の大魚がすかさず呑み込んでいく。「水に魚あり、田に米あり」と謳われたのはいにしえのスコータイではあるけれど、温帯や寒帯に住む者からすれば、インドシナの自然は信じがたいほど豊かだ。
午前にホテルを出て、チャルンクルン通りからシーロム通りに出たところで15番のバスに乗る。そしてサラデーンへ行く。運賃はひとり9バーツだった。ここから昼すぎにかけて、有馬温泉で足マッサージと耳掃除、ジムトンプソンでお土産の購入、そしてBTSでサイアムへ移動してマンゴータンゴーで三種盛りをおやつにするという、ベタというか王道というか、とにかく観光らしいことをする。
サイアムからサパーンタクシンまでは”BTS”を使う。ここからホテルの専用船に乗ると、助手はチーク製の椅子にしか見えない、しかし実は冷蔵庫から冷たいミネラルウォーター2本を取りだして我々に手渡してくれた。大したサービスぶりである。
ホテルの桟橋から部屋へ向かう家内と別れて外へ出る。そうして舟から川沿いに見えた、庶民的な、あるいはすこしばかり粗末な、つまり僕ごのみの食堂の場所を探しに行く。その食堂”Jack’s Bar”は、ボソテルホテルやシャングリラホテルのあるチャルンクルン通りソイ42/1のどん詰まりに位置していた。今秋には、この食堂で飲み食いをする機会があるやも知れない。
ソイ42/1からチャルンクルン通りへ出て、すこし歩いてスーパーマーケットのトップスに入る。そして唐辛子入りの醤油1本を買う。地下1階のトップスから上りのエスカレータに乗りつつ「あぁ、ここまで来るなら溜まった洗濯物を持ってくれば良かった」と後悔しても遅い。こんなことを言ってはけち臭いが、マンダリンオリエンタルのクリーニング代は隨分と高いのだ。
部屋に戻ると15時が近かった。先ずはシャワーで汗を流す。それからプールへ行く。寝椅子で本を読むうち、対岸のペニンスラホテル右側にあった夕陽がプールサイドの木々の下に見えなくなる。それでも本を読み続け、18時前に引き上げる。
今夜の食事はビールの醸造施設を備え、レビューを見せるビヤホール「タワンデーン」で摂ると決めていた。先ずはホテルの舟でサトーンの桟橋まで行く。そこからチャルンクルン通りに出て南にすこし歩く。停まっていたトゥクトゥクの運転台からオニーチャンが顔を出す。「タワンデーンまでいくら」と訊くとオニーチャンは左腕の時計に目を遣ってからすこし考え「サームローイバー」と答えた。
メーターを備えたタクシーの方が安いことは明白だ。しかし300バーツは正に僕が予想した通りの価格で、しかも遊びと考えれば高いことはない。僕と家内を乗せたトゥクトゥクは時に渋滞に閉じ込められ、あるいはまるで首都高速道路のような高架道路を飛ばしに飛ばし、25分かかってタワンデーンに着いた。
案内された席でメニュを渡される。僕はビールはほとんど飲まない。しかしビヤホールであれば、まったく飲まないというのも憚られる。僕はラガーの0.5リットル、家内は0.3リットルを選ぶ。続いて7年前の秋に来たとき美味かった野菜炒め、それからそのときには頼まなかった豚足揚げを注文する。
タワンデーンの席は時間が経つにつれて埋まり、タイの古典楽器を使ったロック、豪華な衣裳による歌謡ショー、ルークトゥン、ラップ、曲芸と、テンポ良く運ぶ出しもの共に、客の気分も盛り上がってくる。タイでは20時前後に就寝することを続けて来た。しかしタワンデーンでは、早々と帰っては損なのだ。
ビールをチリ産のソービニョンブランに変えて飲んでいると、聞き覚えのある前奏が聞こえてきた。舞台の奥では次のショーに備えて模様替えが行われているのだろう、臙脂色の幕の前に若い女の歌手が出てきて歌い始めたのは「北酒場」だった。
海外で、こちらを日本人と認めるやいなや、日本の曲を歌ったり演奏したりする歌手やバンドを僕は好まない。しかしこのとき、僕は客席の暗がりにいたから、舞台の上から僕の姿は見えない筈だ。それになにより僕は周囲のタイ人たちに紛れている。そんなこともあって僕はその勢いのある「北酒場」に感動し、舞台の下から歌手のオネーサンに1,000バーツを進呈した。オネーサンは「北酒場」を歌いきると、僕の席まで挨拶をしに来てくれた。
そうこうするうち、今度は三線による前奏が聞こえてくる。「なだそうそう」である。繰り返して言えば、周りの客はほとんどタイ人ばかりだ。良い曲は、スタンダードとして他の国にも根付くのだろう。しっとりと歌い始めたのは網タイツに短髪のオバチャンだった。このオバチャンの達者な歌いぶりには先ほどから感心をしていた。よってこのオバチャンにも1,000バーツを進呈する。
インドシナにはカフェーという遊び場がある。屋根だけで壁のない、駐車場のような広い場所にテーブルと椅子が並べられている。客は飲食をしながら歌を聴く。お気に入りの歌手があらわれれば、その値段の一部が歌手へのチップになる花の首飾りをフロア係に金を渡して歌手に贈る。贈られた歌手は歌を終えると舞台を降りて客に礼を言い、あるいはその席にしばし侍る。
カフェーは、その国が後進国から中進国、そして先進国を追撃するところまで力を伸ばし始めると、なぜか廃れていく。カンボジアではいまだ健在なカフェーは、しかしタイでは今や、田舎にしか残っていない。僕はオバチャンの「なだそうそう」を聴きつつ「そうか、タイのカフェー文化は、タワンデーンに生き続けていたんだな」と納得をした。
出しものの最後は、ここの従業員も多く舞台に上がってのダンス大会だ。その大フィナーレの最中に勘定を済ます。2,100と少々の請求書を持って来た、色の浅黒い、タイ人特有の細身のウェイトレスに、家内は2,200バーツを渡した。
さて、混み合う前にタクシーを拾わなくてはならない。係へのチップとして100バーツ札1枚を胸のポケットに用意して駐車場へ出て行くと、空車の赤いランプを点したタクシーが1台、路上に停まっていた。駐車場係の水色ではない、白いシャツを着た男が「タクシー?」と訊く。「チャーイ、ミータータクシー」と答えると、その男は頷いてタクシーを指す。帰りの足は難なく確保することができた。
色の黒い、痩せた、大人しそうな運転手にタイ語で行き先を伝える。運転手はクルマを静かに発進させた。往きとは異なって、10分ほどでホテルに着く。71バーツのメーターに対して運転手には100バーツを払い、釣りは要らないと言葉を添える。
部屋のエアコンディショナーが、なぜか効かない。しかしシャワーを浴びればそれほど寝苦しい夜でもない。そして部屋に備えつけの絹のガウンを着て0時前に就寝する。
朝飯 “Mandarin Oriental Hotel”の朝のブッフェの1皿目、2皿目、コーヒーとマンゴージュース、ペストリーとチーズ、ヨーグルト、センミーナム、マンゴー
晩飯 “Tawandang German Brewery”の野菜炒め、豚足の関節揚げ、ラガービール、チリのソーヴィニョンブラン