2018.3.25 (日) タイ日記(3日目)
目を覚まし、小一時間ほどと思われる時を闇の中で、横になって休む。それから床のゴム草履を足で探り、履き、デスクの灯りを点ける。時刻は1時35分だった。きのうの日記は一昨日ほどの長文にはならないから、書くに際しての苦労はそれほど無い。
部屋のベランダからは、木々を透かしてシャム湾が望まれる。その、東の空が紅く染まるころ2階から1階への階段を降り、更に階段を下って庭に出る。園丁により早朝から動かされているスプリンクラーの水を避けつつ小径を辿り、海辺に出る。今朝は雲が多く、朝日は望めない。砂浜からホテルの敷地に上がったところに係が用意してくれた冷たい胡瓜水を飲み、部屋に戻る。
きのうよりもすこし早く、7時すこし過ぎに朝食の場所へと向かう。日の出の時間には多かった雲はあらかた去って、広大な庭の緑を日の光が鮮やかにしている。その庭を、きのうとおなじくガウンで散歩してる白人の老人がいる。「まるで温泉場の浴衣じゃねぇか」と呆れるけれど、リゾート地であれば、ホテルもあまりうるさいことは言わないのかも知れない。
8時30分にプールサイドに降りる。係に寝椅子を整えてもらい、そこで昼すぎまで本を読む。僕の旅の愉しみのほとんどは、プールサイドでの本読みにあるかも知れない。天動説で言えば太陽が動き、顔を直射するようになるたび、車輪付きの寝椅子を動かして、ふたたび影を作ることを繰り返す。日曜日だからだろうか、浜辺では多くの人たちが思い思いに寛いでいる。
シャワーはプールサイドで浴びた。しかし部屋に戻れば戻ったで、またまたシャワーを浴びる。ガウンに着替えて天井の扇風機をゆっくりと回す。そうしてベッドに横になり、しばらくのあいだ涼む。
落ち着いたところでフロントに行く。そして街の、僕の手持ちのものより広いところまで載せた地図をもらい、同時に、自転車を借りたい旨を申し出る。
ここの貸し自転車は、これまであちらこちらのホテルで借りた、整備不良のものとは明らかに違う。係は3台ある”SPECIALIZED”の自転車のうち1台を選び、ブレーキの具合を確かめた。自転車が良ければ無料というわけにはいかない。貸出時間のうち最短の「1時間」を係に告げ、100バーツの料金に対して署名をする。そして先ほどの地図を取り出し、テスコロータスの場所を訊く。
係は「500メートルか1キロ」と僕に答えた。「そんなに近いのか」と僕は喜び、しかし本気にはしなかった。12時55分にホテルを出て、教えられた近道を通ってしばらく行くと間もなく、巨大な複合施設”Hua Hin Market Village”が右手に見えてきた。ホテルからの所要時間は6分ほどだったから、まさか500メートルということはないものの、やはり遠くはなかった。
きのうの日記に書いた、ホテルちかくのスーパーマーケットには大量のワインがあったけれど、ラオカーオは1種類しか置いていなかった。買って不味ければ後悔をする。それゆえのテスコロータスである。酒の売り場をひとまわりすると、果たして僕の一番好きな”BANGYIKHAN”が充分に在庫されていたから喜び勇み、2本をキャッシャーに持ち込む。
ホテルに戻る幹線道路は大渋滞をしていた。すこし遠回りをしてフアヒンの駅へ行き、その日影で小休止をする。ふたたび走り出して、今度はホテルのちかくから”NARESDAMRI ROAD”に入る。この狭い道を、不法駐車のクルマや、それを避けようとして道をふさぐクルマのあいだをすり抜け、1階に魚屋を併設する料理屋を見つける。2階への階段を上がると、昼食を摂る地元の人たちの向こうは砂浜である。
ここの店員らしいオニーチャンに予約を頼もうとすると、専用の窓口を教えてくれた。よってその、駅の切符売り場のようなところまで歩き、18時に席ふたつを確保するよう係のオバチャンに伝える。来た道を戻り、ホテルの正門から、アンセリウムが寄生する大木の脇を走って自転車を戻す。時刻は13時50分。上出来の時間配分である。
部屋に入れば即、シャワーを浴びる。汗に濡れたポロシャツはベランダに干した。そしてコンピュータを起動し、今日ここまでの日記を書く。庭の、初日とおなじスパにかかろうとした家内は、しかし今日は18時30分まで満員とのことにて、部屋で休んでいた。
今日こそは、しなくてはならないことがある。明日の、バンコクまでの足を確保することだ。長い回廊を歩いてロビーに降り、フロントのオネーサンに、スワンナプーム空港までのバスについて訊く。オネーサンは、バスステーションまでのトゥクトゥク代は300バーツ、バスの予約は自分でして欲しいと、ベルトラベルサービスのURLを教えてくれた。
部屋に戻り、教えてもらったばかりのサイトであれこれ調べる。バスの行き先はスワンナプーム空港しか選べない。運賃はひとり269バーツに予約手数料が50バーツが加わって319バーツ。空港からホテルまでのタクシー代は、概ね400バーツくらいか。とすればふたりで1,300バーツ強。そのことを家内に伝えると「ここからバンコクまでタクシーで行けるの」と、もっとも楽な方法を探りはじめた。「そりゃぁ、金さえ出せば、何でもできるよ」と答えて、今度はふたりでフロントへ行く。
「ここからバンコクまでタクシーってのは、どうでしょう」と、先ほどのオネーサンに訊く。「それならホテルのリムジンがございます」と、今度は先ほどとは異なって、誰にも確かめることなくオネーサンは即答をした。しかし「リムジン」という言葉の響きが僕をひるませる。
「5,000バーツだって」と、ソファで休む家内に振り向いて告げる。「いいじゃない」と、家内は涼しい顔である。街のそこここにブースを設けている観光タクシーに交渉をすれば、バンコクまでの価格は多分、2,000バーツくらいのものだろう。しかしリムジンであれば、整備されたクルマと優秀な運転手が約束されている。リムジンとは畢竟、金で安全を買う仕組みである。
「イヤだよー、トゥクトゥクでバス停まで行って荷物を降ろして、今度はバスに荷物を載せて。それで行き先は空港でしょ。空港からホテルまで、また1時間くらいかかるでしょ」と、もはや家内はバスなど眼中にない。僕はふたたびオネーサンに向き直り、明朝9時のリムジンを予約した。代金はいずれ、家内が払うのだ。
午後の強い日差しがいくらか弱くなる。16時20分にホテルを出る。夜が明ける前からホウイッ、ホウイッと啼く鳥はいつも、濃い樹影の中に潜んで観察することが能わなかった。その鳥を遂に、路上から家内が見つける。葉の疎らな木の高いところで啼くその鳥は、尾長よりすこし大きく、真っ黒な体に細い嘴だけが黄色かった。
きのうのマッサージ屋は大繁盛で、マッサージ師は、きのう見知ったオニーチャンしか空いていない。「10分だけ待って」と、そのオニーチャンは我々を店内に招き入れた。もうひとりのマッサージ師はすぐに現れた。そして足のマッサージを1時間だけ受ける。ここでも家内は料金払い係、僕はチップ渡し係である。
巨大なヒルトンホテルの客をあてにしてるのかどうかは不明ながら、多くの飲食店やインド系の仕立屋が軒を連ねる”NARESDAMRI ROAD”を北へ歩く。そして昼に予約をした料理屋の階段を上がり、ちかくにいた客席係のオニーチャンに名を告げる。
オニーチャンは、砂浜に張り出すようにして伸びる、まるで桟橋のような客席に我々を先導し、奥に立つ、別のオニーチャンに僕の名を大声で伝えた。用意されていた席は、もっとも海側の南の角だった。予約係のオバチャンは、愛想こそ悪かったものの、良い仕事をしてくれたものだ。
その店の、注文したものはすべては美味かった。すっかり日の落ちた盛り場を抜け、駅から伸びる目抜き通り”DAMNOENKASEM ROAD”まで戻る。それを渡ればホテルの正門はちかい。ロビーに達するまでの巨木のどこかでは、またまたホウイッ、ホウイッと鳥が啼いている。
家内に乞われてロビー脇のエレファントバーの席に着く。バーテンダーは、細身でショートカットのオネーサンだった。家内はモヒート、そして僕は、昼に買ったラオカーオ2本分にほぼ等しい価格の、しかし量はグラスの底にほんの少しのグラッパを飲む。
勘定を頼み、カードキーを納めた厚紙の部屋番号を見せる。伝票の署名欄のすぐ上に”TIP”の文字が見える。「どうしようかなぁ」と一瞬、考え、そこには何も記さず、財布から取り出した100バーツ紙幣1枚を伝票に添えてオネーサンに渡す。
部屋を出入りするのは、朝から何度目になるだろう。服を脱いでガウンに着替え、すこしだけ休むつもりでベッドの布団に潜り込む。そして結局は、シャワーも浴びないまま眠りに落ちる。時刻は多分、20時にも達していなかった筈だ。
朝飯 “Centara Grand Beach Resort & Villas Hua Hin”の朝のブッフェの1皿目、2皿目、コーヒー、パン、パイナップルジュースとオレンジジュースの混ぜ合わせ
晩飯 “CHAOLAY SEAFOOD”のヤムウンセンタレー、ハマグリのミント蒸し、ホタテ貝のにんにくバター焼き、海老焼きそば、“TIO PEPE”(ソーダ割り)