2018.3.23 (金) タイ日記(1日目)
「成田から早朝バンコクに着きました。ウボンラチャタニーでの夕食は…」というような、途中経過を欠く日記は読む気がしない。当方が知りたいのは、その人のバンコクからウボンラチャタニーまでの経路や、バンコクからウボンラチャタニーへ至るまでに必ずあっただろう、諸々の階調の変化なのだ。しかしてまた、僕が旅の初日に記すような長い文章はハナから読まない人も、いてしかるべきとは思う。
“BOEING747-400″を機材とする”TG661″は、定刻に15分遅れて0時35分に羽田空港を離陸した。馬が喰うほどオフクロの遺したデパスとハルシオンのうちの各1錠ずつは、ベルト着用のサインの消えた0時45分に飲んだ。効くときには一瞬にして眠りに落ちるこの組み合わせだが、今回はなかなか寝付かれない。
人の気配がすることには数分前から気がついていた。それが徐々に近づいてきたため、アイマスクを外す。客室乗務員が熱いおしぼりを配っている。それを僕ももらって目頭を拭く。おしぼりとはいえ不織布のため、熱さがすぐに失われるのは味気ない。機は海南島の東方洋上を南西へと向かっている。
05:35 朝食が配られる。
05:55 ダナン上空を通過。ここからバンコクまでは1時間の行程である。
06:30 客室乗務員のアナウンスを受けて、記入済みの古い入国カードを棄て、受け取った新しい入国カードに情報を書き直す。
“TG661″は、定刻より24分はやい日本時間07:01、タイ時間05:01にスワンナプーム空港に着陸。以降の時間表記はタイ時間とする。
05:22 パスポートコントロールの列に並ぶ。
05:49 パスポートコントロールを抜ける。
06:16 エアポートレイルリンクの車両が空港駅を発車。マッカサンまでの運賃は35バーツ。
06:40 マッカサン着
06:45 ラチャダーピセーク通りの歩道橋を渡ってMRTペチャブリー駅に向かう。
06:49 MRTペチャブリー駅を発車。ファランポーンまでの運賃は30バーツ。
07:06 MRTファランポーン駅着
07:14 地下道を歩いてファランポーン駅の構内に入る。
今回の目的地であるフアヒンへの最も合理的な経路は、スワンナプーム空港からバスに乗る手だ。しかし合理的な経路と面白い経路が等号で結ばれることは少ない。タイでの長距離移動は、線路が通じてさえいれば鉄道が一番、というのが僕の感想である。
タイの鉄道は夜は二等寝台、昼は三等車に限る。その三等車の切符を、どのような理由によるものか、国鉄職員は外国人にはあまり売りたがらないという情報をウェブ上で目にした。フアヒン行きは、”Special Express”が08:05発のフアヒン11:26着。それに対して三等車の”Ordinary”は09:20発のフアヒン13:30着である。朝の7時台に駅に着きながら、発車の遅い、しかも三等車に乗るのはいかにも不合理、不自然だ。
よって当方は「冷房車は窓に遮光のための色が付いているから景色が綺麗に見えない」だの「タイの冷房は寒すぎるから風邪をひく」だのと理論武装をして窓口に進む。しかし案に相違してオニーチャンはにこやかに、僕の頼んだ切符を二つ返事で発券してくれた。バンコクからフアヒンまでの距離229Kmに対して三等車の運賃は44バーツ。実に汁そば1杯分の料金である。
7時30分に来ると言っていた同級生コモトリケー君は8時がちかくなってからファランポーン駅に姿を現した。日光味噌梅太郎の白味噌を1kg、朝露を1本、それに家内の買った酒肴を手渡すと、僕のスーツケースは一気に軽くなった。そのできた隙間に背中のザックから出したコンピュータを納める。
08:00 駅の構内に国王賛歌が流れたため、周囲のタイ人と共に起立をする。
08:05 仕事に行くコモトリ君と別れ、プラットフォームの7番線でベンチに座る。
08:10 ラチャブリー発バンコク行きの9両編成が7番線に入線
09:00 その9両編成が7番線からどこかに消える。
09:07 我々の乗る3両編成の261番列車が7番線に入線してくる。
タイ国鉄の駅は日本のそれのように、乗車位置をプラットフォームに示すような親切なことはしていない。乗客は、ちょうど昇降口が自分の前に来るだろう場所を想像してプラットフォームのあちらこちらに個人あるいは小さな列を作って列車を待つ。
僕の脇に立っていたオジサンはその賭けに負け、しかし何とか席を確保しなくてはならない。そして焦ってプラットフォーム上に転倒した。そのオジサンの立ち上がるのを確認して僕もタラップを駆け上がる。そうして進行方向左側の2席を死守する。それからようやく、家内が車両の下まで転がしてきたスーツケースを車内に持ち上げる。僕の小さなスーツケースは網棚に、家内の大きなそれは他の乗客に倣って通路に置いた。
09:20 フアヒン行き261番列車は驚くことに定時にファランポーン駅を発車。
09:33 サムセン停車
09:40 バンスージャンクション停車
チャオプラヤ川を渡ると列車はようやく速度を上げた。ディーゼルエンジンはときおり航空機用レシプロエンジンのような排気音を発して快調に回る。線路の継ぎ目を越える音がいきなり高くなる。ファランポーンのプラットフォームで20バーツで買った鶏のガパオと目玉焼きの弁当を食べようとして、プリックナムプラーをズボンに散らす。
09:49 バンバルム停車。
10:00 タリンチャンジャンクション停車
10:16 サラヤー停車
10:22 ワットスワン停車
10:25 クロンバンタン停車
バナナと椰子の木、そして疎らな民家ばかりが見える。天候は曇り。気温は26度くらいだろうか。窓はファランポーン駅を出る前から全開にしている。
10時30分、ワットニューライで白人の中年男女ふたり組が降車しようとして降りられない。脇のボタンを押さなければ扉の開かないことを知らなかったらしい。地元の乗客がそのボタンを押してくれたため開いたドアから降りようとして、しかしそのことに気づかなかった車掌がドアを閉めるスイッチを入れたのだろう、女の人は閉まりつつあるドアに頬を叩かれ、車両はそのまま何ごとも無かったように発車をしてしまう。
10時05分、駅に着くたび席から中腰になり、外の駅名看板を確かめる僕に、いま停車中の駅はナコンチャイシーであることを、おなじボックスに座るオニーチャンが自分のiPhoneで教えてくれる。
10:44 トンサムロン停車
10:48 ナコンパトム停車
10:51 サナムチャンドラパレス停車
10:57 プロンマドゥア停車
11時01分、クロンバンタンを過ぎたあたりから雲行きが怪しく、風も涼しくなってくる。
11:06 ノンプラドゥックジャンクション停車
11時10分、左手に大きな役所、間もなく大きなキリスト教会が見えてくる。やがて停まった駅はバンポンだった。
11:17 ナコンチュム停車
11:20 クロンターコット停車
11:25 パックナーラン停車
用を足すため席を立って隣の車両へ行く。こちらの席はアルミニウムをプレスしただけのもので、クッションは付いていない。自転車を持ち込んでいる白人もいれば、床にあぐらをかくオバチャンもいて、僕の乗る車両よりも景色は賑やかだ。
11:31 チェットサミアン停車
11時41分、幅の広い川を渡ると間もなく駅に停まる。確認はできなかったが多分、チュラロンコーンブリッジと思われる。
11:44 ラチャブリー停車
雨が降ってきたため、目の前に座ったオニーチャンとの共同作業にて窓を閉める。途端に車内が蒸し暑くなる。有り難いことに間もなく雨が止む。即、窓をふたたび全開にする。
11:59 パクトー停車
この列車は鈍行ではなさそうだ。しかし数分おきに停車を繰り返す。かと思えば長い距離を一気に駆け抜けることもある。左手には遠くの森まで水田が広がっている。右手は水田の先に、地面からいきなり盛り上がったような、タイ特有の山々が連なっている。
12:29 ペチャブリー停車
12:35 ペチャブリー発車
いきなり涼しくなったのは、シャム湾が近づいたためだろうか。
12:44 カオターモン停車
12:48 ノイマイルアン停車
12:53 ノンチョック停車
未明の機内食と小さな駅弁しか口にしていないため小腹が空く。よって日本から持参した干し柿を食べる。右手はるかにあった山々が、ずいぶんと近いところまで迫ってくる。
12:59 ノンサラー停車
13時10分にチャアムに着く。ここまで来ればフアヒンは指呼の先である。旅行者を含めて結構な数の乗客がここで降りる。オレンジ色のベストを着た、これまた結構な数のモータサイの運転手が、プラットフォームで客に声かけている。軽井沢に対する北軽井沢のように、ここもリゾート地として人を集めているのかも知れない。
チャームを出ると、3両編成の三等車は鞭を当てられた競走馬のように一気に速度を上げた。
13:23 フアヒンの直前にあると聞いていたトンネルを過ぎる。
13:24 左手に飛行場の管制塔らしいものが見える。
12:29 タイ国鉄の仕事としては奇跡的と思われる、定時の6分前にフアヒン着。
フアヒンの駅前はこぢんまりとして美しい。先ずは人力車のオヤジが声をかけてくる。「ふたりじゃ無理だよ」と答えると、別の一台を指して「分乗すれば」と言っているのだろう。料金は訊く気もしない。次は観光用の写真パネルを持ったオヤジが「タクシー?」と近づいてくる。ホテルの名を告げると「150バーツ」と英語で答えたので「高い」とタイ語で返す。客引きはそのままどこかに消えた。まける気はさらさらないらしい。
数百メートル先の高いところにヒルトンホテルの”H”の印が見えている。予約をしてあるセンタラグランドビーチリゾート&ヴィラズフアヒンという長い名のホテルは、そのヒルトンホテルの向かい側にある。よって嫌がる家内を説得するまでもなく、家内の大きなトランクを曳き、タイ特有の、車道から高さのある、しかも敷石の平坦でない歩道を歩き始める。
駅からホテルまでは、やはり数分の距離だった。ホテルの守衛に予約してある旨を伝える。芝や樹木のよく手入れされた庭の道を往くと、守衛から連絡を受けたベルボーイが満面に笑みを湛えて近づいてくる。これでひと安心である。
地元の人には「センタラ」と略して呼ばれるここは、1923年に建てられた、フアヒンでもっとも古いホテルだ。ロビーで冷たい飲物を受け取り、チェックインを済ます。そのフロントの女の人と会話を交わしつつチーク作りの湾曲した階段を上がる。庭の緑を眺め降ろす廊下は200メートルほども続いていただろうか。
案内をされた部屋に入って右側はウォーキングクローゼットと化粧のための部屋、左手は床に大理石を奢ったバスルーム、その奥の寝室の床はもちろん、磨き込まれたチークだ。間もなくふたつのスーツケースが部屋に届く。ベルボーイに100バーツを渡す。数百メートルの移動に150バーツを要求するタクシーには「冗談じゃねぇよ」ではあるけれど、祝儀については、僕は割と鷹揚である。
汗まみれの体をシャワーで洗う。ガウンを羽織ってベランダに出る。そして寝椅子にバスタオルを敷き、目の前に迫った木々の葉、プールに集う人々、その向こうのシャム湾を眺めれば、もう何をする気も起こらない。
「アフタヌンティーに行こう」と家内が言う。15時からそんなものを腹に入れては夕食が不味くなる。しかしひとり旅でなければ、多少は人に合わせる必要もある。アフタヌーンティーも出す”The Museum Coffee & Tea Corner”へ降り、そこで家内は甘いものと甘い飲物、僕は冷たい茉莉花茶を飲む。
その足で階段を降りて庭に出る。このホテルの敷地は広大すぎて、その全容はなかなか掴めない。部屋のベランダから間近に見えていた赤い屋根は、一戸建てのスパだった。そのスパで家内は90分のマッサージを頼んだ。僕は目と鼻の先の”COAST Beach Club & Bistro”へ寄り、夕食の予約をする。「今夜はブッフェのみになります」と係のペペ君は言った。望むところである。
ふたたび長い廊下を辿って部屋に戻る。楕円形のテーブルには3個の柑橘が届けられていた。家内のいない90分間は、日記を書くことに充てる。途中でメイドが部屋を整えに来る。彼女はすべてのタオルを新しいものに換え、アイスバケットを氷で満たし、ベッドの掛け布団を斜めに折り返した。よって50バーツを手渡す。
予約をした19時すこし前に庭に降りる。白服のペペ君は我々を認め、午後に指定した席に案内をしてくれた。すぐそばには7つか8つのブースがしつらえられ、それぞれに生野菜やサラダ、貝類、握り鮨、ローストビーフ、巨大な鱸のオーブン焼き、炭火を熾したグリル、デザートなどが置かれている。
僕はそれらをすこしずつ皿に盛り、白ワインの肴にする。ステージでは、ギターの男二人組と女性の歌手がスタンダードの曲を静かに演奏し始めた。しごく気分の良い夕べである。料理を皿に取って戻るたびに椅子を引いてくれ、またグラスにワインを注ぎ足し続けてくれたオジサンには「少しね」とタイ語で伝えつつ100バーツを手渡す。
以降のことは何も覚えていない。
朝飯 “TG661″の機内食
昼飯 ファランポーン駅7番線プラットフォームで買った弁当
晩飯 “COAST Beach Club & Bistro”の生牡蠣と茹で烏賊と蒸しムール貝、サラダ、マカロニグラタン、蒸した蛤、鱸のオーブン焼き、羊の網焼き、ニュージーランドのソーヴィニヨン・ブラン、アイスクリーム、ティラミス、バナナの飴煮、”JOHNNIE WALKER BLACK LABEL”(生)