2017.11.26 (日) 遂に
きのうの午後から、喉の右側に小さな痛みを感じ始めた。その痛みは時が経つにつれて増し、夜にはかなりのものになった。社員など周囲の人たちが次々と体調を崩すなか「それにしてもオレは丈夫だ」と、すこし良い気分でいたところ、急転直下の「遂にオレも」である。
不思議なことに、そのようなときに限って焼酎が捗る。酒が捗るときは要注意と、若いころから知っていながらの、前夜は酒量だった。
今未明に目を覚ますと、喉の痛みは唾を飲み込めないほど強くなっていた。布団から起き上がる気はしない。30分ほど迷ってようやく、洗面所へ出向いてうがいをする。そしてその足で食堂に移動をし、前回、喉を腫らせてセキネ耳鼻科にかかったときに処方をされた、しかしそのときは早くに治ったため余らせた薬を「毎食後」の指示を無視して飲む。
日曜日は忙しいものの、朝の決まった仕事をしたのみで自宅4階に引き籠もる。大きな声が出なかったり、走ることがままならなかったりすれば、仕事もできない。
仕事は休みながら、しかし14時20分になったところで白いシャツにネクタイを締め、紺色の上着を着て事務室へ降りる。そして黒いマフラーを巻き、毛糸の帽子を被って徒歩で平町の公民館へ出向く。
日光市今市旧市街の全町内より自治会長、神社総代、神社世話人が参集し、平町のキタムラヒロシ自治会長が議長を務める「当番町を考える会」は、毎月最終の日曜日に開かれる。瀧尾神社に6名いる責任役員のうち、今日の出席は僕ひとりだったから、無理を押しても出てきて良かった。
この会議の主役は、各町内の自治会長、神社総代、神社世話人である。責任役員はほとんど口を開かない。しかし今日に限っては、春季小祭と秋季小祭の直会についての僕の考えを、タナカノリフミ宮司に質問をする形で提出した。その意見は幸い、大方の賛同を得ることができた。少子高齢化と人口の減少こそ、現在の日本の最大の宿痾である。その状況の下にあっても、総鎮守のお祭は、何とか続けて行かなくてはならないのだ。
19時からは春日町1丁目の公民館へ行き、ここでも来年の、当番町についての話し合いを持つ。出席者数は13名だった。
朝飯 玉子と万能葱の雑炊、赤紫蘇の葉と白胡麻のふりかけ、きゅうりのたまり漬
昼飯 うどん
晩飯 カレーライス、たまり漬「楽楽らっきょう」