2016.10.6 (木) チェンライからバンコクへ
相撲で言えば「時間いっぱい」までコンピュータにかじりついている悪癖がある。朝食のブッフェ会場に降りたのは7時20分のころだった。その30分後に部屋に戻り、荷造りを始めるものの、きのう酔った勢いで買った土産がかさばり、苦労をする。”KEEN”のサンダルはスーツケースに収まらず、仕方なしにザックに入れる。
8時30分に頼んだ迎えのクルマはいつものように、その数分前にはドライバーがロビーに現れた。きのうホテルの出口まで電動カートに乗せてくれたベルボーイには40バーツを渡す。
日本への郵便物は、チェンライ市内ならエジソンデパート1階にある、郵便局の出張所から出せば、先ずは間違いなく着く。しかし今回は、これまでその存在に気づかなかったことが不思議でならないけれど、空港内の郵便局から投函をする。1通あたり15バーツの切手代は、今回も変わらなかった。
“AIRBUS A320-200″を機材とする”TG2150″は、定刻に10分遅れて10:10に離陸をした。チェンライの緑が徐々に遠くなる。そして雲の上を30分ほども飛べば、機は早くも降下を始める。11時03分、バンコク近郷に特有の、極端に細長い長方形の農地が見え始める。バンコクには定刻に8分はやい11:12に着陸をした。
バックパッカーだった時代の価値観から離れられない僕も、徐々に贅沢になってきている。昨秋は微熱があったため、空港からホテルまではリムジンを頼んだ。今年2月こそ空港からフアランポーンまですべて鉄道で移動をしたものの、6月の早朝にはホテルまでタクシーを使った。今回は迷った挙げ句、やはりタクシーに決める。空港からのエアポートレイルリンクをパヤタイでBTSスクンビット線に乗り換える際の、スーツケースを提げたまま階段を降りることに気が進まないのだ。
バゲージクレームでは11時41分に荷物が出てきた。エスカレータで1階に降り、自動発券機からのチケットを手にタクシーの座席に収まったのが11時46分。サトーンの船着き場やサパーンタクシンの駅にほどちかいホテルには、12時28分に着いた。メーターは283バーツを示していた。それに空港手数料の50バーツ、更に色をつけた340バーツを手渡された運転手は、しばし暗算ののち、大して面白くもなさそうな顔で去った。
タイスマイル航空の機内スナックは、昼食としては少ない。しかし今からクイティオなどを食べれば夜まで腹の減らない気がする。“trippen”の革靴を”KEEN”の草履に履き替えチャルンクルン通りに出る。そしてシーウィアン通りとの角にある繁盛店で少々の点心を買う。
午後はプールサイドで2時間ほども本を読む。空は晴れていても、僕の寝椅子はビルの陰になって日は当たらない。涼しい風が吹き抜ける。チェンライのプールには、鳥のさえずりが絶えなかった。バンコクのプールに絶えないのは、クルマや雑踏による騒音である。それはそれで、悪いものでもない。
サトーンの船着き場に行くと、通常は舟の中で買うはずの切符を売るオバチャンがいた。これはすこぶる便利だ。ターチャーンまでの運賃は14バーツだった。来たオレンジ船では左舷最後尾の船べり側に座った。移動に舟を多用するバンコクに、新橋と柳橋が「新柳二橋」と呼ばれたころの東京を感じるのは、僕くらいのものだろうか。
「ここだ」と確信して降りた右手の桟橋は、しかし目的のターチャーンではなく、ひとつ手前のターティアンだった。左舷の端にいたため、舟の庇が邪魔になって桟橋の名がよく見えなかったのだ。桟橋に取り残されてそのことを係に告げると「ここでも大丈夫」と答える。「ここでも大丈夫」とは「隣の桟橋くらい歩いて行ける」ということなのだろうか。しかしそれを言っているのは、歩くことを極端に嫌うタイ人である。
王宮が近いせいか、あるいはカオサンが遠くないせいか、とにかく白人の観光客ばかりとすれ違いつつ外へ出る。そして道を探すも一瞬で「馬鹿くせぇ」と、きびすを返す。
先ほどのいい加減な係員は無視して、下流から近づいて来た新たなオレンジ船に乗る。船尾に立ったままでいると「どこまで」と、切符係らしいオネーチャンが訊く。先ほどの切符を見せつつ「ターチャーン」と答えると、彼女は何も言わず、船内への階段に立つ白人たちに「早くキャビンへ降りろ」と、なかなか威勢の良い英語で命令をした。
そしてようやく当初の目的だったターチャーンで舟を下りる。そのまま真っ直ぐ歩き、通りに出たら右に折れる。右側には”NAVY CLUB”の堅固な壁が続いている。しばらく行くとその壁が途切れて門衛が立っている。海兵クラブの建物に入り、従業員らしい人にレストランの場所を訊く。「禁煙。半ズボン、ミニスカート、サンダルお断り」の絵看板の脇のドアから奥へと進む。左手ではバンドをバックに歌手が歌っている。更に進んで外の席に着く。そして川風に吹かれつつチアビアに付き合いシンハビール1本を飲む。以降は手持ちのラオカーオをすこしずつ味わう。
さきほど料理を注文したウェイトレスに、舟の最終の時間を訊くと、どうも英語は得意でないらしい。ちかくの黒服に彼女が振る。おなじ質問をすると彼は腕の時計を見て「20時」と教えてくれた。
改修の始まった2013年9月には3年と工期の伝えられていたワットアルンは相変わらず足場に覆われ、今夕の往路では、その表面は灰色一色に見えた。完成にはいまだほど遠いのだろうか。しかしライトアップだけはされていて、ときおり色を変えては闇に浮く。その姿を船上右手に眺めつつ20時すぎにサトーンに着く。
部屋に戻ってシャワーを浴び、21時前に就寝する。
朝飯 “Dusit Island Resort”の朝のブッフェのサラダとオムレツ、トースト、中華粥、コーヒー
昼飯 “TG2131″の機内食、チャルンクルン通りとシーウィアン通りの角にある食堂の肉まん、海老蒸し焼売
晩飯 “Khun Kung Kitchen”のヤムウンセンタレー、トードマンクン、シンハビール、ラーカーオ”Black Cook”(オンザロックス)