コラム1 上澤卓哉
スタインベックの「朝めし」
スタインベックへのノーベル文学賞は、彼のどのような業績に対して与えられたものだったのでしょう。
私見を言わせていただけれるならば、私は彼の短編「朝めし」だけで、既にノーベル賞の資格ありと思います。
これは文庫本にしてわずか5ページにも満たない掌編小説で、しかも一見、荒々しい素描あるいはただの覚え書きのようにしか、私の目には映りません。
いかにも翻訳家泣かせと思われる唐突な出だしから始まり、カリフォルニア州サリナス渓谷? での早朝のひとときをスナップ写真のように写しとって、やがて無骨にギクシャクとして不格好な結びの数行で終わる、この短い小説。
夜明けどきの冷たい空気、日の光によって、藍色からようやく赤く濡れ始める東の山々、紫色がかった灰色の地面。行きずりの「私」と、テントに暮らしている「若い女」「赤ん坊」「若者」「老人」はいつしか、裂け目からオレンジ色の炎を吹き出しているストーブを中心に、集まり始めます。そして彼らの「朝めし」
いためたベーコンを深い脂のなかからすくい上げて錫の大皿にのせた。ベーコンは、かわくにつれてジュウジュウ音を立てて縮みあがった。
若い女は錆びたオーブンの口をあけ、分厚い大きなパンがいっぱいはいっている四角い鍋をとり出した。
あたたかいパンのにおいが流れると、男たちは二人とも深く息を吸い込んだ。 若者は、ひくい声で、「こいつはたまらねえ!」と言った。
私たちは、めいめいの皿にとりわけて、パンにベーコンの肉汁をかけ、コーヒーに砂糖を入れた。老人は口いっぱいにほおばって、ぐしゃぐしゃとかんでは、のみこんだ。 それから彼は言った。「こいつはうめえや」
スタインベック著 大久保康雄訳
山をかすめて斜めに朝日の射す街道筋に、鉄板上のベーコンが焦げ、脂がはじけ、その音と匂いが、活字から沸き立ってくる気さえします。 なんとまぁ、読んでいて腹の空く小説でしょう。
人はしばしば、1日の食事の中でも夕食において、最もコストの高いものを食べがちです。私の場合もそうですが、しかしその滋味に触れて、しみじみ「うまいなー」と感動するのは、朝食です。
春なら、菜の花のおひたし、ニラの卵とじ、ブロッコリーの油炒め、タケノコとワカメの白だし味噌汁。
夏なら、冷や奴、刻みオクラ、揚げ茄子、揚げシシトウ。ジュンサイの赤だし味噌汁。
秋なら、キノコのマリネ、ワカメの刻み玉ねぎ和え。イワシの塩焼き、雪菜の合わせ味噌汁。
冬なら、ブリの照焼き、カブの葉と油揚げの炒め煮、イクラの醤油漬けと粕汁。
ところでここに、中小企業事業団の調査・国際部が1998年9月に行った、興味深いアンケートの結果があります。
東京40Km圏内・大阪30Km圏内・札幌市・仙台市・広島市・福岡市に居住する15歳から69歳の男女3000名を対象に調査。有効回収数:2101(70.0%)
「昨日の朝食、昼食、夕食を食べましたか?」との質問に対して「朝食を食べない」と回答した人の主な割合は、以下の通りです。
なお、これをさかのぼる4年前、1994年の調査結果と比較すると、朝食の欠食率は全体で11.4%から16.6%に上昇し、20代男性の増加率は約25%、40代男性に至っては94%も朝食抜きの人が増えています。
朝食を食べない理由の第1位は「習慣だから」が39.1%と、「食べる時間が無かった」の24.6%を上まわり、朝食抜きのスタイルが、もはや生活慣習化している傾向がうかがわれます。
ここで私は何を言いたいのかー? 朝食を抜くことは、脳を活性化する糖分が生成されず、またエネルギーとなる炭水化物の枯渇によりウンヌンなどという難しいことではなく、「朝めし」の世界を知らずに一生を送るということは、やはり人生の大損失なのではないか、ということなのです。
朝食をとらないことが習慣化している人達にとって、スタインベックの「朝めし」を読んで腹を減らすような条件反射は、起こり得ないことかも知れませんね。