「ワインに造詣の深かった当主が亡くなり、しかし遺族は故人のコレクションにさほどの興味を持っていない、そういうお城からの出物です」
という、よくいえば冒険譚のような、しかし解釈のしようによっては「ホントですか」と苦笑いしたくなるような話を旧知のワイン商が僕にもたらしたのは1980年代も暮れかかるころのことだった。配偶者あるいは子か孫に売りに出された、現在は大陸にある遺産のうち、もしも買い手がつけば極東の島国へ渡ろうとしているワインはマグナムボトルに詰められた"Chateau Latour 1975"。本数は半ダースだという。
ロマンティシズムと懐疑とのあいだをしばらく遊泳した僕は結局ワイン商の提案を呑み、数ヶ月の後、6本のマグナムは僕のワイン蔵の棚のうち"Pauillac"と紙の貼られた一角の最上段に安置された。
以来18年を経た2008年ともなれば、いくら頑強なラトゥールの、それもマグナムとはいえ、そろそろ飲みごろに違いない。しかし僕はここで、炎に包まれた街の写真が第一面の3分の1を占めた、1975年春の新聞を思い出す。それより30年を遡る1945年もまた、フランスは葡萄の当たり年だった。大きな戦争が終わるとフランスの葡萄は良く実る、その歴史の符号を身を以て主張していそうなこの計9リットルの液体を、僕は一体全体いつ、誰と、どのような料理と共に味わうべきか。
そしてサイゴン陥落の年に生まれた葡萄酒は、今しばらくは暗い蔵の中で眠ることになるだろう。