「早くその手を降ろせ、コノヤロー」 と思った。否、さすがの僕も、無言とはいえそこまでの罵(ののし)りを相手に向けて放射することはなかった。僕はただ、とまどっていた。
小さなハンマーを持つ初老の英国人が徐々に価格をつり上げ、それに連れてビッダーたちは頭上に掲げる入札カードを次々と降ろしていった。最後に、僕とひとりの男だけが残った。更に上がった数字に限界を感じた瞬間、相手は僕よりも先にサッとカードを降ろした。
ボルドーにとって1956年が20世紀中で最悪のヴィンテイジだとは、ワイン好きなら誰もが知る事実だ。こともあろうにその年の "Chateau Margaux" がここまで値を上げることを、ボウルルームの一体誰が想像しただろう。総売上の5パーセントを利益とするクリスティーズの面々は予想外の展開に、腹の中でにんまりと笑ったに違いない。
その "Chateau Margaux 1956" が僕のワイン蔵に収まって、14年のとしつきが経った。そのあいだ棚に眠らせて手も触れずにいた6本のうちの1本を、あるとき機会あって日の当たる場所へ持ち出した。
赤というよりも朱色に近い鉛のキャップには、黒い縁に黄色で壮麗なシャトーが描かれている。レッテルには同じ建物が金色の楕円に収まり、そこへ重なって "MIS EN BOUTEILLE AU CHATEAU" の赤文字が、たすきをかけるように右上がりで走っている。
液面はいまだネックの下端に達していないから、47年前の品物としては悪くない。瓶を灯りにすかしてみると、棚に寝かされていた下側には少なくない澱があって、それはタール状に固まっているようにも見える。持つ指に面白い感触を伝えるのは、古い設計の瓶によく見かける、底の中心にあるガラスの半球だ。
立てたまま1時間ほど静置をすると、手強く思われた澱はすべて沈降した。ナイフでキャップを外し、その内側のカビを乾いた布でよく拭き取る。
コルクは十分に湿って柔らかく、易々と鋼鉄製の螺旋を呑み込んでいった。乾燥したコルクの処理も難しいが、古さが柔らかさにあらわれたコルクもまた、これを完璧に取り出すことは難しい。宇宙の彼方に去った人工衛星を地球へ帰還させるような細心さを以て瓶の首から引きずり出されたコルクは芯まで濃い葡萄色に染まって、まるで古傷から摘出された弾丸のように見えた。
たとえこの300年で最も寒い冬がボルドーの葡萄畑を直撃した年にできたワインであっても、"Margaux" は1855年の公式格付けでグランクリュ第一級に指定された歴史を持つ由緒正しい蔵だ。その格にはいささか不釣り合いな、学生街のキャフェで見かけそうな風船グラスにこの古い酒を、少しずつ注ぐ。
オークの樽から瓶に詰められて以来40余年、初めて外界に触れた液体は本来のルビー色を薄め樺色を帯びていたが、ひとくち含めばそれはやはり、カベルネソービニョンの太い体躯がメルローとカベルネフランという金色のうすぎぬをまとった印象の、まぎれもない "Chateau Margaux" だった。
脳からではなく、鼻と舌からの命令によって僕は、「間違いない。これは、マルゴーだよ」 という言葉を、その、自分と同じ齢を重ねた酒に向けて吐いた。