かたくち

その機能に惹かれるのか、あるいはその造形に親しみを覚えるのかは知らないが、片口という器が好きだ。

夏の冷たい味噌汁に流す生クリームを入れ、ざるうどんの胡麻味噌つゆを入れ、長ネギを多く刻み込んだ湯豆腐のたれを入れ、あるいはステーキ用のソースを入れる。春夏秋冬、片口はその使い道を限ることなく、何でも受け入れ、台所の食器棚や居間の茶箪笥から頻繁に取り出されて、そのつど優れた用を足す。

好きが高じてむかし、益子でひと窯分の片口を焼いてもらったことがある。そしてそれをしばらくのあいだ、会社のノヴェルティとして使った。

おおむね好評だったこの企画は、しかし、たったひとりの顧客の、「片口なんざぁ、田舎者しか使わねぇ」 のひとことにより消滅する。

それからほぼ十年が経ったころ、分厚い縁を持つ、中身を満たせば五本の指に重たい片口を、その姿はむかしの通りに、しかしおもては当時の灰釉から黒釉にかえて復活させた。今度は欲しい人だけが手に入れられるよう、ノヴェルティではなく、漬物を入れて商品とした。

以来、焼かれたこの片口の数は、幾窯分になるだろうか。

混雑する飲み屋の入口でいきなり蕎麦猪口を手渡され、なにかといぶかしむ間もなく、「お待たせしてすみません、これ、サービスです」 と注がれた冷酒を立ったまま飲むとき、若い店員の持つ大ぶりの片口が、ことさらに妙趣を帯びて目に映る。それは、タダ酒の飲める嬉しさによるものだけでもないだろう。

そして白麻ののれん越しに店の中をのぞき込み、「もうちょっと待つようだね、まぁいいや」 と、僕は笑う。

かたくち
2003.1101