「蕎麦屋ってのは平日の昼すぎに行くもんですな、週末は蕎麦通が来るからアンバイ悪いです。蕎麦なんて、スポーツ新聞を読みながら食うところが美味いわけでしょ?」
「並木の藪ね、僕がひとりで行くと、オバチャンがスポーツ新聞、スッと手渡してくれますよ」
「でしょ? 藪は池之端より並木だなぁ」
「で、並木のオバチャン、オレには日経なんて、決してくれねぇんだから」
「ハハハ」
という会話を年長の友人と交わしたのは、昨年の盛夏、そして季語の上では秋になりかかるころのことだっただろうか。その日、花椿通りの植え込みからは、虫の声が耳を圧するばかりに響いていた。
僕はワインは、ほとんど
"Castillo de Molina Cabernet Sauvignon Reserva" Vina San Pedro
"Chablis Premier Cru Les Vaillons" Billaud-Simon
"Blagny 1er Cru Sous Le Dos d'Ane" Domaine Leflaive
"Bourgogne Blanc" Domaine Leflaive
の4本しか飲まない。各々が残り少なくなれば、また懇意の酒屋に連絡をして、いま購うことのできる最上のヴィンテイジをまとめて注文するのみだ。
アンデス山脈の西に産した赤は、入念なデカンタージュを経て口中の粘膜を悦ばせ、強く辛く苦く美しいシャブリは、まるで渓谷の雪解け水のように舌を洗う。
樽から瓶に移されて既に15年を過ぎたブルゴーニュの赤は、柔らかく軽やかに最後のつとめを果たし、同じくブルゴーニュの白は金色に輝いて、ルフレーヴの血筋を強く感じさせる。
「オレ、すごく良いワイン、見つけたよ」
「どこの?」
「チリ」
「チリ?」 と、僕の答えを反芻しつつ馬鹿にしたような顔をした知人は、もちろん、平日の昼すぎをねらって並木の藪へ行く友人とは別種の人間だ。
「通(ツウ)」 とはしばしば、裸の王様の服を褒めそやした中世のおとな達に似ている。