むかし僕が中学生のころ、Count Basieが来日をしてNHKのテレビに出た。サトウハチロウが詩を朗読した。同時通訳は鳥飼久美子だった。
サトウハチロウの詩の中に 「僕はその音楽を聴いて透明になった。子供のころブランコに乗ったときと同じ気持ちになった」 という一節があった。それを聞いてCount Basieは泣いた。
サトウハチロウは、ブランコが"swing"と訳されることを知っていただろうか。知ってこの言葉を使ったとすれば、それは職業人の技量と賛嘆すべきか、あるいは手練れのあざとさと認めるべきか。
僕にはごく少ない本当に好きなCDを、繰り返し聴くクセがある。すべては4拍子のジャズだ。
あるきっかけから、澤野工房の
"Because of you" Jos Van Beest Trio AS006
を手に入れた。
オランダのピアニスト Jos Van Beest はこのアルバムの中で、ベイス Evert J.Woud、ドラムス Rolf Breemer と共に、まるで化学の実験をするように、いくつものスタイルを試みている。
1曲目 "What are you doing the rest of your life"
カクテルっぽいコードと運指を使いながら、このbluesyさ、jazzyさは、ただごとではない。翳りゆく部屋の中で冷たく燃える炎が、やがて温かく柔らかくほぐれていくような印象を僕は覚える。そしてRolf Breemer のシンバルワークこそ、この演奏の陰のスターだろう。
8曲目 "Blue Bossa in de Amsterdamse grachten"
本来ならストリートオルガンがひなびて奏でる6/8拍子の"Als Van De Amsterdamse Grachten"にKenny Dorham の"Blue Bossa"を組み合わせたこの曲の、比類なく美しいワルツが4拍子へ急転する8小節が、このアルバムの頂点だ。あとは一気に、ラテンのリズムが疾走する。
唯一の瑕僅は、48小節もの長いリフから"Blue Bossa"のテーマへ戻って3音目に、Jos Van Beest がEマイナーの黒鍵を打ち損じてEを叩くところだろうか。
9曲目 "Once I loved"
ここでのJos Van Beestは、まるでOscar Petersonのように手のひらを大きく開き、盛大にスタンウェイを打ち鳴らす。その強烈なdriveに、好き者たちは静かに熱狂するだろう。ここぞとばかりにピッチを強めるEvert J.Woudのベイスランニングには、思わずニヤリと笑って頷きたくなる。
僕はこのアルバムを、1日に5回ほども聴くことがある。めまぐるしく変わるスタイルに、倦むことを知らない。聴きながら僕は、サトウハチロウの詩に触れて泣いたCount Basieのように、いつも軽々とノックアウトされる。
Jos Van Beestのピアノに、手練れのあざとさを見つけることはできない。「面白いことをしてやろう」 という意図と 「かっこいいだろ?」 という見栄が職業人のcoolな抑制を受けて、"Because of you"の毎日食べても飽きない魅力になっている。
僕は、このアルバムから少なくないミスタッチを排除した"Because of you second"が欲しい。しかしそれは、この10年にひとつ出るか出ないかの傑作に対する、あまりに贅沢な、もちろん、かなえられることのない要求だろう。