むせ返るようなお香と、太陽の熱によって濃縮された尿の臭気を吸い込んでいた。赤や黄の色粉で祝福された、石造りの男根や女陰が目にまぶしい。この街で気ままに暮らす野良牛に、ドンと背中を押される。僕は渓谷のように入り組んだ、レンガ色の細い路地の底を歩いていた。
1982年2月11日、インド、ウッタル ・ プラデッシュ州、ガンジス川のほとりの街ヴァラナシ。
旧市街にある軒の低い、しかし奥行きは深そうなバグワンリラという布屋に入った。商談は、四畳半ほどもある巨大な座布団の上に正座をした、20歳の店員を相手に始まった。
間断のないおしゃべりと、何杯もの分厚いグラスのミルクティー。次々と床に広げられていく、金糸や銀糸を織り込んだ絹の数々。
結局、2時間の攻防を経て、僕はこの布屋で2枚の絹織物と、10枚の木綿のスカーフを手に入れた。
絹織物はともかく、毎朝、手押し車でパンを売りに来るオヤジやガンジス川の船頭たち、はたまた旅なれた風情の旅行者たちが首に巻いている木版プリントのこのスカーフは、僕がインドでどうしても欲しい、唯一のものだった。
僕は旅のノートに、このスカーフの価格を、日本円で1枚あたり100円強と記している。
色とりどりのスカーフの中央を占める図案の多くは、ヒンドゥーの神々、あるいは天地の組成を表すオームという図柄だ。それぞれシヴァ、ガネッシュ、サラスヴァティ、ブッダ、クリシュナなどの神の周りを、仏足や唐草、あるいは象形文字の連続が囲んでいる。
スカーフのサイズは161Cm×67Cmとかなり大きく、インドの人たちを見ていると、江戸時代の手ぬぐいと同じように、使い方にも様々なパターンがあることに気づく。
この大きなスカーフに対して、模様のサイズは25Cm×14Cmの長方形。木版でプリントをするため、模様と模様の境界には微妙なズレが生じている。
僕はガネッシュ模様のものを選び、これを自分の所有とした。ガネッシュとは、シヴァとパールヴァティの間に生まれた男児で、頭は象、からだは布袋のように肥満している。ヒンドゥー神の中でも、僕の好きなキャラクターだ。
このガネッシュが日本へ渡ると吉祥天になるらしいが、つまびらかではない。
1982年から1990年まで、このスカーフはなぜか使われずじまいだったが、1991年から急に多用するようになった。この年の4月に、9年ぶりにネパールを訪ねたことが遠因になっているかも知れない。とにかく1991年から現在までに、このスカーフが出動した回数は、のべ数百回に及ぶだろう。
通常は首に巻き、雨の日には頭からかぶり、薄着をして外出したうすら寒い日には上半身を覆い、時には列車の中で眠る際の掛け布団がわりにもした。
ある日、街でルイ ・ ヴュトンの洒落たスカーフを目にした。一見すると黒一色だが、目を凝らすと例のLVマークだけが横糸のパターンを変えて織られ、目立たないように周囲から浮き上がっている。
一瞬、購買欲が頭をもたげたが、値段を見てあきらめた。木版スカーフの1000倍の価格だった。
1000倍の価格差とはすさまじい。1台100万円のクルマと、1台10億円のクルマが、世の中に同時に存在するということと同じことだ。ちょっとこの比喩、おかしいですか?
1枚100円のスカーフを100回使えば、単価計算で1回1円。しかし僕はこのスカーフを、既に数百回は使っている。そのうち0円には ・ ・ ・ これはさすがにならないか。高等学校2年のときに挫折した、数学の 「極限」 を思い出した。