1998年の1月、僕は京都市東山区新門前通りの旅館に投宿していた。
朝から湯豆腐を肴にお酒をのんで、午前中のほとんどを怠惰に過ごしたり、夕刻には近くの銭湯へ行き、電気風呂にしびれてヘラヘラしたりしていた。 (余談ですが、京都の風呂屋に常備してある 「アメ」 という飲み物は、なかなか秀抜ですね)
ところでそんな僕も、日がな一日、無為徒食のときを過ごしていたわけではない。
午後の何時頃だったか、四条通りと花見小路の交差点付近を歩いていたら、妙に気になるポスターに出会った。
その10歳くらいの少年の服装は、上が丈の詰まった既に小さめのセーター。下は年の離れた兄貴のズボンを改造したような、大きめの半ズボン。ずり落ちないように、古ぼけた皮ベルトをちぎれかけたループに通している。裸足の足もとには皮のサンダル。
両腕には、コルクの具合から酒屋の量り売りとおぼしき赤ワインのマグナム瓶を、1本ずつ計2本かかえ、少しあごを上げた得意そうな表情で、通りの角を歩いている。
バックにかすんでいる女の子達の服装が、短いスカートをはきながらも上半身にはしっかり毛糸のカーディガンをはおっているあたり、これは新酒の季節だろうか。
写真の撮影者はアンリ ・ カルティエ=ブレッソン。 撮影年は1952年。題名は少し長くて 「ミシェル ・ ガブリエル ,ムフタール通りで」
1952年に10歳ということは、第二次世界大戦終結時には3歳。量り売りのワインを両腕にかかえて家に帰るところをみると、彼の父親はあの戦争に生き残ったのか ・ ・ ・ あるいはこのワインは、彼の母方の祖父のものなのか。
ドイツ兵に収奪されないよう、カーヴの入り口を漆喰で塗り固めた鴨屋トゥール ・ ダルジャンのワインが、歓呼の声に迎えられて再び日の目を見たのは、ベルリンが陥落した1945年のこと。 それから7年後の、平和と落ち着きを取り戻したパリの一風景。
いま僕は京都の何必館で手に入れたこのポスターを眺めながら、朝の光の中で太股の後ろ側に波立ちの目立ち始めた四十女のような、1985年物のブルゴーニュの赤を飲んでいる。
何必館で購入した分厚いパンフレットを紛失してしまった僕が、泣く泣くその4倍の金額で購入した、ほぼ同じ内容の写真集。
カルティエ=ブレッソンのパリ
文 ヴェラ ・ ファイデア / アンドレ ・ ド ・ マンディアルグ (飯島耕一訳)
みすず書房 \8,240 ISBN4-622-04389-0
これを眺めていると、ブーダンやオムレツ、牛の尻尾や内臓と野菜のポトフ。パテをドカンと載せたパンと、レッテルのない瓶に入った名無しのワイン。そんなフランスのどうということもない日常のメシが、強烈に食べたくなってくる。