こちら側の舗道から、あちら側の舗道を眺める。道を渡り、あちら側からも、こちら側を眺めてみる。双方をへだてるアスファルトの車道には、陽炎も立たず、狭い帯状の驟雨もない。
にもかかわらず、街の 「あちら」 と 「こちら」 は、まるで彼岸と此岸のように幽明を異にして、決して溶け合うことはない。
湖に浮かべたボートの縁から水の中へ入り、徐々に深く潜っていく。あるところから、水温は急に低くなる。それに反して水の濃度は高くなり、手足の動きを鈍くする。ふと不安を覚えて顔を上へ向けると、夏の太陽は少し前に浮き桟橋から見たときと変わらず、熱く黄色く揺れている。
水面という薄い膜をへだてて、呼吸のできる世界と空気のない暗冥とが接している。そして街にも、世界を一変させるこのような皮膜は、確かに存在している。
東武日光線の浅草駅に、裏口のあることを知る人は少ない。ここには会社へ急ぐ人の群れもなく、遊山におもむく旅客の姿もない。昼なお薄暗いガード下を歩くのは、地元の老人とコインロッカーの管理人くらいのものだろうか。
ある初夏の夕刻、この界隈に立ち食いの串揚げ屋を発見して、僕は大いに驚きかつ喜んだ。ためらうことなく店の中へ浸透し、コの字形の清潔なカウンターの一角に立つ。
壁の品書きから3品を注文する。焼酎のオンザロックスを頼む。1品につき2本ずつ供される串揚げを、「二度付けはご遠慮ください」 と書かれたバットのソースにくぐらせながら、たちまちのうちに食べつくす。合いの手に無料のキャベツを口へ入れて、その青い香りを確かめる。
次の3品を注文する。若いオヤジの返事は、大きくはっきりとしている。若いオカミの接客は丁寧で、その口跡は人間の優秀さを表している。新鮮な油は、麦わら色よりも薄く澄んで煮えている。
焼酎のオンザロックスが3杯目に達した。そろそろ切り上げ時だろう。僕はすこし考えて、締めの1品を注文する。
勘定を済ませ、いまだ夢を見ているような気分で、人影もまばらな舗道を歩く。
馬道通り浅草2丁目の交差点にも、目に見えない1枚の皮膜がある。ミルクに浮いた脂肪のようなこの膜を破って南へ数十メートルも歩くと、もうそこには観光地浅草の喧噪がある。
僕は急に現実へと戻り、浅草駅正面の大階段を上る。視線の先には幾両もの列車が見えるばかりにて、先ほどまでのキスやシシトウのフライは彼岸へ去ったように、その映像は網膜の記憶からも、既にして消えている。
やがて列車はゆるやかに隅田川を渡る。首をどうねじ曲げても、ガード下の串揚げ屋を見ることはできなかった。