デザイナーズレストランというものが、好きでない。普請に凝り、奇抜なメニュを編み出し、特殊な社員教育をほどこした店に、興味はない。そこに仕組まれた 「あからさまな意図」 が、僕を萎えさせる。
逆に、土地建物のハンディキャップによって、いたしかたなく奇抜な構造を採らざるを得なくなった店には、自然と足が吸い寄せられていく。かつて乃木坂の途中に存在した小さなバーのことは、その典型として、いまでも懐かしく思い出す。
地下鉄大江戸線の牛込神楽坂駅を出て、変哲のない大久保通りを歩く。神楽坂上へ達して右へ折れたところで、風景は一変する。そこに 「街」 があらわれる。
いまだ坂とは名のみの平坦な石畳を外堀方向へ歩き、左に折れて本多横町へ進む。しばらく歩いて更に左の路地を入ると、波形トタン板にアルミの戸をはめ込んだ小さな店が見えてくる。
鉤の手のカウンターには、7客の丸椅子が置かれている。店の面積は、どう見積もっても四畳半よりは狭い。焼き台の前から、笑顔と平常心を絶やさないオヤジさんが、甲高い声で歓迎の意を伝える。
席へ着くと、これまた笑顔のおかみさんが、極上のつくねを3個、突きだしとして出してくれる。このつくねのホッコリとした絶妙の生さ加減が、いやおうなしに 「次の一皿」 への期待を高める。
夏の箸休めは、冷やしトマトに限る。
焼酎のオンザロックスで舌を洗いながら、2種類の砂肝や、3種類のレヴァや、5種類の軟骨を食べ進む。丸く大きな心臓は限定品だ。
脂の乗った尻の肉を、タレにて焼いて貰う。
「これを作るのは家内の仕事ですから」 と、オヤジさんが巧みに材料の明言を避けるタレには、天窓からの細い光しか届かない醤油蔵の奥の、発酵槽のくぐもった香りが強く残っている。
オールドファッションドグラスの焼酎が4杯目に達するころ、「本日、特に食べたい最後の1本」 を注文する。オヤジさんは嬉しそうに 「はい」 と答える。
神楽坂をまっすぐには下らず、ジグザグに路地を縫って歩く。鉄製のぼんぼりの淡い明かりを眺めたり、不意にあらわれた階段に踏み込んだり、小さな笹の植え込みの香りを聞きながら、フワフワと歩いていく。
街にも店にも酒にも食物にも、「あからさまな意図」 は必要ない。あるがままに沿った方が、ものごとは却って面白くなる。そしてそのことを 「鳥しづ」 は、黙して僕に教えてくれる。