「優れたカメラマンって、どんなヤツのことをいうんだろう」と、"Magnum Photos"のひとりがつぶやいた。するとそばにいたもう一人は「そこにいたヤツさ」と肩をすくめたという。
5年15年20年のあいだにはあちらこちらで膨大な活字を目にしているから、その発言、その一節がどこにあったかを思い出すことは多くできない。とにかくあるとき僕は「サイゴンのいちばん長い日」について「実にもったいない」と、著者の近藤紘一に対して開高健が電話で語ったことを知った。
「サイゴンのいちばん長い日」は僕にとって忘れられない1冊であり、いくら発言の元が開高健であっても、一体全体この傑作のどこが「実にもったいない」のか、そこのところが分からない。
サイゴンが陥落するとき、近藤はまさに「そこにいたヤツ」だった。「サイゴンのいちばん長い日」について、ことによると開高は「最高の材料を得ながら最高の調理法を採ることのできなかった、実にもったいない作品」と言いたかったのかも知れない。
しかし僕にとっての「サイゴンのいちばん長い日」は「これだけ上出来の材料が揃ってるんだ、ソースなんかいらねぇよ」という本であり、その考えはこれを初めて読んだ四半世紀前からいささかも変わってはいない。
この、決して忘れることのできない本を久方ぶりに探すと家の中のどこにも見当たらず、しかし見当たらないままでは困るので"amazon"の古書店に発注した。
それがいよいよ届き、日に焼けた小口に指を添えて表紙から数ページを繰ると、そこには1975年当時のサイゴン市街図があった。まるで初めて目にするもののようにそれを見て、現在の、ファングラーオ通りの北にある公園の、そもそもの姿を知る。そして「これはいま読んでは勿体ない、少なくともサイゴンへ飛ぶ飛行機に乗るまでは封印だ」と考える。