「ある素材があって、それに塩胡椒をして上質のオリーヴオイルで焼き、これまた上質のバルサミコ酢をふりかければ大抵のものは美味くなる」とウェブ日記に書いたところ、遠く北アメリカ大陸の真ん中あたりに住む人からメールが届いて、その油と酢の銘柄を教えてくれと言う。料理が好きな、あるいは得意な人であれば、質問をするよりも先ず自分であれこれ試してみるだろう。
ロータリーに並ぶ商店の白い壁が午後の日を照り返すニューデリーの街角に、ひとりの男が立っている。ふくらんだショルダーバッグからは、ガイドブックのたぐいがはみ出している。安心できそうな顔つきの同朋が通りかかるたび、男は手に持った地図の一点を指し「ここに行こうと思ってるんですけど、どうですかね」 と訊いている。小便も出ない暑さの中で、相手から戻る言葉は「行けば分かる、行かなければ何も分からない」 といったあたりがせいぜいだ。
凍った滝に登ろうと、雪の夜道を月に向かって歩いていく。数キロ下の遮断機に阻まれて、一般のクルマは入ってこられない。やがて夜が明け、その滝で救難訓練をしようとする警察の一行が、灰色の特殊車両で我々を追い越していく。ずいぶんと遅れて這うように追いすがってきたクルマは訓練を取材するテレビ局のもので、前輪駆動車にもかかわらず、後輪の片方のみにチェーンを巻いている。それでいてひとたび遭難があれば「無謀な計画、貧弱な装備」 と彼らは囃し立てるに違いない。
「グーグルアースができて以来、旅はつまらなくなった」 と言う人がいる。前輪駆動車の後輪片側にチェーンを巻いて雪道を上がってきた人たちと同じく、使い古された文体でものを話す人だ。
準備不足は褒められない。しかし準備のしすぎもつまらない。旅がつまらなくなったとすれば、それは "Google Earth" の誕生より160年以上も遡った、トーマス・クックの時代に始まったことではないか。準備についてのちょうど良さを知りたければ、谷口正彦の「冒険準備学入門」 は必読の書である。