「少々お待ちください」 と電話を保留にした事務係が僕を見て 「ことしのらっきょうは去年のらっきょうと同じですか? とおっしゃるんですけれど」 と言った。僕はおもむろに自分の机の受話器を取り点滅するボタンを押す。
「去年のものと同じだったら良いんですけれど」 と、らっきょうのたまり漬のご注文を下さった女の人は口を開いた。一瞬ためらったのち 「私はこういうことを言うのでしばしばお客様にはおしかりを戴くのですが」 と、僕は慎重に意見の陳述を始める。
年長の友人があるチェーン系の繁盛店へ入り、「ヒレとロース、どっちが美味い?」 と訊いたら店員はよどみなく 「ヒレです」と答えたという。次に、白米と麦飯の双方から選べる主食につき 「ごはんと麦、どっちが美味い?」 と訊いたら店員はこんどもよどみなく 「麦です」と答えたという。
「らっきょうというのは野菜で、ですから自然のものです」 と言うと、女の人はかすかに身構える雰囲気で 「えぇ、確かに」と相づちを打った。続けて僕は、だから今年のらっきょうは去年のものとは異なるし、これは毎日らっきょうの味見をしている者の言うことだけれど、その味は一粒一粒、同じことはないと述べた。
ロースよりもヒレを、白米よりも麦飯を美味いと断言する店員よりも、「どちらが美味しいかはお客様の好みによります」 と口ごもる者を僕はより信頼するが、繁盛店のマニュアルにはもとより、そのような答えは準備されていないに違いない。
ひとつのサーヴァーから注がれたビールを10人が十口で飲み干したとき、そこには10×10で計百とおりの味があると想像するがどうだろう。あるいはひと口のビールも舌、歯茎、口腔、鼻腔、食道でそれぞれよく味わえば、ひと口の中に幾通りもの味があるだろう。
お客様を慮って僕は更に、ちょっと濃いめに漬かったのがお好きとか、あるいは浅い仕上がりのものの方が好みに合うとか、なにか具体的なことをおっしゃっていただければ、こちらもできるだけご希望に添うようなものを選んでお送りすると言葉を添えたが女の人は 「もう結構です」と言って電話は切れた。
噺家が師匠をしくじる、幇間が旦那をしくじる話はハタから聞いている分には面白い。そして僕は誠実であろうとして、今日もまたお客様をしくじってしまう。
「ことしのらっきょうは去年のらっきょうと同じですか?」 と訊かれて 「はい、同じです」 と答えられれば僕の人生もすこしは楽になるのだろうが、生憎と僕のメンタリティに、そのような図太さは無い。
"Honesty is such a lonely word. Everyone is so untrue" と歌っていたのは誰であったか。