「むさうあん物語」 は武林無想庵のかつての単行本や未発表の文章、また老いて盲(めし)いた後、彼が妻に口述筆記させた思い出話などを集めた小冊子で、昭和32年からの12年間に別冊を含む47冊を刊行して完結している。
武林はこれが売り物になると踏んだが時代は既にして彼の名を忘れていた。やむなく300名の会員を募って年に4冊から6冊を出し続けたが、所詮、義理で会費を出したメンバーは今も名を残す文豪も含めて、櫛の歯が欠けるようにこの頒布会から去っていった。
「無想庵物語」(文藝春秋社1989年初版)を著した山本夏彦はこの 「むさうあん物語」 について、
「ただ活字にしたいならしてもいいが読む者はあるまい。読まないで積んでおく本の会費をとりにこられると次第にいやな気がする。小説であれ自伝であれ言論は書店で売って買ってもらうもので、賛助会員を募って願って買ってもらうものではない」
と、述べている。
ウェブショップのメイルマガジンを得るに会費はいらない。金も払わずいつの間にか届くディスプレイ上の文字を人は読むか? ここで自分のメイルマガジンへの対し方を振り返れば、
A社のメイルマガジン : 欲しい商品があれば画像入りの説明へ飛んでこれを注文する。文章は読まない。
B社のメイルマガジン : 読まずに保存し、後に欲しい商品を検索するためのデイタベイスとする。
C社のメイルマガジン : 経営者がウンチクを語るのみにて商品の紹介が無いため読まずに捨てる。
つまり僕はメイルマガジンを読まない。しかし矛盾しているが自社の顧客に対してはメイルマガジンを発行する。
自分のものの考え方や性向をものさしに不特定多数の行動を読もうとする客観性の欠如が自分の短所で、だから人はメイルマガジンなど読まないだろうとはじめから考えている。しかしこの理屈を逆からたどると、「これなら自分も最後まで読み、かつ注文をするだろう」というメイルマガジンを作れば、人はこれを読み、注文の数も増えることになる。
このことを思い描きながら作成した2003年11月のメイルマガジンはいくらかの成功を収めて、ウェブショップは前年同月の倍の売上げを記録した。しかし、「これなら自分も最後まで読み、かつ注文をするだろう」 というメイルマガジンが、今後も不特定多数の顧客に対して功を奏し続けるとは考えづらい。
書店で売って買ってもらうようなメイルマガジンが作れれば、それにこしたことはない。ただし自分が書くものに最大公約数への訴求力はない。次回のメイルマガジンはどのような作りにしようかと考えて結論はいまだ出ない。