デフォールトの美学

買ったクルマは改造せずに乗る。腐った排気管をステンレス製の新品に換えるくらいのことはするが、装飾のためになにかを加えることはしない。

むかし、コンピュータのビープ音を、どこで採取したものか中山美穂の 「ダメよ」という叱声に改造している男がいた。僕はなんとはなしに、気持ちの悪さを感じた。アイドルの、ストーカーじみたファンを連想してのことではない。「コンピュータは、ただ仕事をしてくれれば良い」 という僕の即物性を好む性格が、たかがビープの音にそこまで凝る偏執ぶりを嫌ったのだろう。

パーソナルコンピュータのパーソナルとは、決してその発する音や壁紙を自分好みのものに換えるということではない。自分のアイディアを、いつでもどこでも誰と一緒にいても具現化することのできる環境を、パーソナルという。コンピュータは、着せ替え人形ではない。

焦げ茶色の、その縫い目に一針の狂いもないショルダーバッグに小さな "ThinkPad" を入れて街へ出る。坂を下る途中の、大きな広葉樹の一枚板をテイブルにした涼しい店のドアを押す。熱いお茶を飲みながら、先ほど思い浮かんだアイディアをマクロに組み上げる。コードをトレイスするカーソルが途中で止まっても、僕の "ThinkPad" は、そこにあることを忘れてしまうほどに静かだ。

店のドアが開く。イタリア製の帽子をかぶった老人が、外のまばゆい風景を背負って近づいてくる。蝉時雨が聞こえる。帽子の材料はエクアドルのものだろうか。

「デフォールトの美学」 という文言を形にするならば、それは高橋義孝の濃紺の背広と白いシャツが、最もふさわしい。


spirit of ecstasy
2002.0801