子供のころ、なにげなくテレビをつけたら、そこに東京の大学教授と大阪の作家が出ていた。東京と大阪の街を比較検証することが、番組のテーマらしかった。東西の代表は自分の好みを唯一の手がかりとして、街についての意見を述べ始めた。東京の大学教授は坂のある東京の風景を褒め上げ、大阪の作家はネオンを映すこの街の橋について、思いのたけを語った。
番組は大過なく進行しつつあったが、大阪の作家が 「でも坂を上がり下がりして暮らすということは、人が無理して住んでいるということですよね?」 と言ったところで、東京の大学教授は口をつぐんだ。以降、番組がどのように続いたのかについての記憶は曖昧だ。
秋の遅い午後に、JRお茶の水駅から聖橋を渡る。川の面を眺めるとき、僕の耳には何も届かない。なにも考えずに、ただ風景だけを見て歩く。目に入るほとんどのものは、そのコントラストを弱めつつある。ビルに穿たれた無数の窓だけが西の日を映し、オレンジ色に揺れている。
橋は街と街とをつないで、自身は真空のまま動かない。
陸橋を越え、気づかないままに相生坂を過ぎる。湯島坂上から清水坂下へ。そのまま薬研の溝を駆け上がるように清水坂上へ至る。 妻恋坂、三組坂、中坂と、ラクダの背のような褶曲を登り降りする。 行く手の右側にあってぽっかりと黒門町の家並みを望む実盛坂は、あまりに急な傾斜のため、その降り口へ近づくと一瞬、断崖に立った錯覚さえ覚える。
やがて湯島天神が見えてくる。境内を抜け、突き当たりの女坂を降りる。右と左にそれぞれ1回ずつ折れると、いつのまにか切り通し坂の下へ出ている。
坂は街のプリズムだ。
僕は風に揺れる右手の柳を見ながら 「シンスケ」 のノレンをくぐる。午後5時のカウンターはいまだひっそりとして、空気は静かに澄んでいる。両関の辛口を冷やにて注文する。
「坂だ橋だ」 と、言い合いをすることはない。橋を渡り坂を越え、行き着いた飲み屋で酒を飲めば、それでものごとは落着する。人間は、ただボンヤリと酒を飲んでいれば、それで良い。