銀座のはずれ土橋から旧電通通りの左側歩道を数寄屋橋に向かって歩くと、ほどなくしてミツミ8丁目店が通りの角に見える。 ミツミは言うまでもなく、自ら “L’esprit de Bourgogne” と称するブルゴーニュ ・ ワインの宝庫だ。
僕がこの店を初めて訪れたのは、1980年代も暮れかかるころだっただろうか。
60歳代の後半と見られるこの店のオヤジに 「○○の△△年物はありますか?」 と訊ねると 「冷蔵庫へ行って、ご自分でお探し下さい」 と、ジャラジャラした鍵の束を貸してくれた。
この店の冷蔵庫は同じビルの6階にあって、1度店の外に出ないと、エレヴェイターには乗れない構造になっている。 僕は思わず 「えっ いいんですか?」 と確認をした。
エレヴェイターが6階で止まり、ジャラジャラからオヤジがより分けてくれた1本の鍵をノブの穴に入れて回すと、何の変哲もない、むしろ粗末なベニヤ製のドアはスッと開いた。 中は真っ暗で、かすかな空調の音が聞こえる。 僕は左側の壁にあるはずの電灯のスイッチを手探りして、パチンとはじいた。
いやぁ、あるわあるわ、古今の宝物がゴッソリと汗牛充棟のありさま。 僕は思わずアリババの洞窟に踏み込んだ気分になった。 昼下がりの銀座のワイン蔵になど、他に誰が来ようか。
僕の探す 「○○の△△年物」 (そのときの経験があまりに刺激的だったために、自分の探していたワインの名前は、その後きれいに忘れてしまった)を見つけることはできなかったが、たったひとり信じられない思いで、その狭い洞窟の中を探索した高揚感は、今も忘れない。
あのとき、あの洞窟の中で1番高価なワインは、ロマネ ・ コンティの1985年物だった。1本が20万円、在庫は5本。もしも僕がこの 「ビロードの手袋をはめた鉄の手」と比喩される5本のワインを盗み出して旧電通通りを逃げれば、ミツミの損害は売価にして100万円である。
しかも僕は、その日に初めて来店した、いわばイチゲンの客だ。
それ以降、僕はこのミツミ8丁目店のオヤジを大人物と見るようになった。 このオヤジ、昼時にはホカ弁などを食べているが、いったいどこの俗物が、初見の客にアリババの洞窟の鍵などを渡すだろう。
僕はその後、この店ではずいぶんと買い物をしたし、現在も 「これという年」 の 「これという蔵」 のワインは、買い続けている。
ブルゴーニュ ・ モンラシェ村のルフレーヴという優秀な蔵の存在を教えてくれたのは、いつもジャンパーを引っかけている、この店のオネーサンだ。
今でも謎なのは、ミツミ8丁目店のオヤジが、初対面の僕をどう鑑定したか? についてだ。 あるいは鑑定などはせずに、ただ面倒くさいので 「自分で探せ」 と言ったのか。
ひとつだけ分かっているのは、あのときの鍵束がなかったら、僕はこの店と10年以上にわたってつき合うこともなかっただろう、ということだ。
●追記
現在ミツミはワインの業務から撤退し、この8丁目店はマルシェ・ド・ヴァンという名前にかわった。 ジャンパーを引っかけていたオネーサンの服装は、イッセイ・ミヤケのプリーツ物にかわった。 オヤジの行方を訊いても、「会社自体が、別のものになってしまいましたからねぇ ・ ・ ・ 」 と。