ほほえみの天使
といえば、パウル・クレーの絵のようなイメージだと思うんですが、
日本にもそういう種類の、シンプルをきわめたような表現があって、たとえば仙厓さんとか。
こういういわゆる「ヘタウマ」な可愛らしさって、日本人が好きなタイプの表現でもあると同時に、普遍的なものだったりするとも思うんです。
そういう面白さを教えてくれるのは、仏像界では、やはり木喰さんなんですね。
(歴史上の人物なのに、なぜか「さん」をつけたくなる。そういう親しみがあるんですね。)
鹿沼市にも
木喰さんは、1700年代の終わり頃の人で、読んで字のごとく「木食」という修行を続けたお坊さんだったそうです。「木食」というのは、つまり、木に生るものしか食べない、穀物とか野菜とかを断つ修行のようです。そんなんで生きていけるのかというと、こと人、40代でその修行を初めて、93歳まで生きているんですね。驚くべきことです。
そうして諸国漫遊して、いく先々、それも山村や農村、貧しかったり忘れ去られたりしていた地域の人々とふれあい、薬草の知識で病いの人を癒し、子供たちを集めて遊ぶと、まあ聖人ですよね。そういう生活をして、夜は堂に籠って、仏像を彫り続けた。そして、その堂に仏像を残し、そこが地域の祈りの拠点になった。全国各地に点々と現存しているのですが、それが日光市の隣町、鹿沼にもあると知ったのは昨年だったでしょうか。
年に3回、1月と4月と8月の第一日曜日にだけ、その「木喰仏」がご開帳になるということで、行ってまいりました。
地元の祭り
行ってみると、公民館の隣の空き地のようなところにぽつんと建った、質素というよりも、なんというか、正直「えっ、ここ???」みたいな感じの場所でありました。ドラム缶で火がたかれていて、暖をとっている人もいる。なんなら、タバコも吸ってる。で、普段着姿のひとがお囃子を演奏している。まるで地元のお祭りじゃん、と思いました。
そう、これは地元のお祭りなのです。年に3回、木喰仏を開帳するハレの日なのです。軽トラで集まって、ジーパンで太鼓を叩いているひとたちを見て、そういう飾らない姿に、却って「地域の祈りの場」が今も息づいていることを感じました。
お堂のなかでは、お坊さんが読経(というか、真言かな?)を読み上げていました。地元のみなさんがお堂に上がって、正座してそれを聞いている。
説法が終わると、いよいよご開帳となりました。
ぞんざい?いや、それが正しいのかも。
「では、ご見学のみなさんもどうぞ上がってください」という声に促されて、数人あつまっていたわれわれのような見学者がお堂にあげてもらいました。薬師如来、日光菩薩、月光菩薩、そして十二神将。40cmほどの木彫の仏像がならんでいました。どれも鑿あとはざっくりしていて、どことなくマンガふうの顔立ち。一部、色の残っているところもありました。
かぶりつきで撮影している人にむかって、地元の方が
「じゃああどうぞー」
と言って、ヒョイと片手で像を持ち上げて、目の前にだしてくれました。
そんなことしていいの?????
「じゃあ、あたまをなでてあげてくださいねー」
なんて言ってる。だいじょうぶなの?????
みんな、ニコニコして仏像をなでてる。像もニコニコ。そうか、もしかしたらそれが正しいのかもしれないな。そんな風に思いました。ここにふらりとあらわれて、像を彫って立ち去っていった修行僧の行いが、300年の時間が経っても、まだ人をニコニコさせている。こんなふうに地元のひとは、仏像と親しみ、寄り合いを守ってきたんだなあと思いました。
民藝運動の端緒
お堂のなかには、当然というべきか、柳宗悦の写真が飾ってありました。