今年も、秋の酒泉講のお祭りが祭行されました。このお祭りは毎年5月と10月にその年の豊醸を願って、日光二荒山神社で執り行われるお祭りで、厳密にいうと5月が「報醸祭」、10月が「祈醸祭」として区別されています。
神職の方に伺ったところ、10月、新米の収穫が終わり、いよいよ新酒の仕込みが始まる時期に、その成功を祈るのが「祈醸祭」。5月、こんどは田植えの時期に、新酒がよくできたことに感謝し、さらなる豊作をお願いするのが「報醸祭」だということです。
「酒泉講」というのは、「えびす講」や「伊勢講」とおなじく、二荒山神社のなかに湧き出る「酒泉」を奉じる氏子のあつまりのことです。栃木県の酒造組合に加盟しているお酒の蔵元と、日光市内の味噌・醤油醸造業者がその構成員です。
数年まえからこのお祭りに参加するようになって、とても感動的なセレモニーだなあと、いつも感じいっています。
受付を済ませ、前室で、まずは巫女さんの汲んでくれた水でお清めをします。
つぎに本殿に上がり、神饌(お供えもの)を上げ、祝詞を奏上します。本殿には、各蔵の醸造品がお供えしてあります。
また、八乙女による舞と謡の奏楽もあります。
ちょっと聞いたことがないような、不思議な調子の音楽に、気持ちが鎮められます。
恭しくお清めしていただいたあと、いよいよ酒泉へ。ここで、各蔵人が、神水を宮司さんから戴くことになります。
由緒あるお祭りということで、毎年、メディア各社の取材もたくさん来ます。
そのあとは、直会(なおらい、と読みます)。
ご神職にお酒を注ぎ注がれつつの宴会となります。
神人共食。その仲介をしてくださるのが神職ということで、日本古来の信仰の原点をみるような、ま、大げさに言えばそんな気持ちになります。
なかなか上がることのない客殿で、しかも酒が飲める、それも仕事で!笑
役得ですね笑
「神威、四海に溢れる」。むかしの世界は「七つの海」じゃなくて、四つの海だったんですねえ。
最後は、日光締め(3・3・3・1拍子の手締め。日光二荒山神社独特のもの)でお開き。
今のようなバイオの技術が解明されていなかった頃から、人は酒を醸し、豆の豉(くき)を食べてきました。一定の加工を施すと、モノの状態が変化して、なんだかおいしい・気分が高まるようなものが出来上がるというところに、人智を超えたなにかが働いていると考えたとしても、不思議ではありません。そして事実、現在でも、解明されきっていない部分はとても多いのです。
「蔵に音楽を流すとよく熟成する」とか、まるで非科学的な物言いがまかりとっているのもどうかとは思いますが、事実、真剣にそういうことに取り組んでいる蔵は、得てして良いものを作りがちです。それは、きっと、「やっぱり音楽に効果あり!」ということではなくて、とにかくより良いものを作ろうとする前向きな姿勢と、実際にそれをやりぬくマメさが作用しているようにも思うのです。そういう人間の行為を発動させるためには、やっぱり宗教行事って大事だよなあ、と、このお祭りに接するたび、いつも思います。