「人にとって『おいしい』とは、『安心』である」というのが、とりあえずの結論となった。


ここから敷衍すれば、例えば、客観的には不味いものなのに、子供の頃から馴染んでいるがゆえにどうしようもなく好きでなくてはいられないようなものについても説明がつくだろう。


記憶のなかで味が美化されていく、という現象についても同様に説明がつく。


安心がおいしさの源泉である、食品メーカーの広報誌としては満点の着地だ。


 一方で、未知の味に挑み、そして、自分の理解の枠に収まりきらないうちにもおいしいと思わざるをえないもの、安心の外側にあるおいしさというものは存在しえないのだろうか。


否、確実にあるはずである。