天然醸造。何よりも、素材。
「日光味噌」の商標は(商標登録第403629号)、
第二次大戦後、先々代・上澤梅太郎が出願して認められた、上澤梅太郎商店の財産です。
その歴史、製法に根ざしながらも、新たなる理想を追求した特別な味噌が、「梅太郎」。
使うのは日光産の大豆と米と、純国産の塩のみ。
人工の温度調節は行わず、四季の移ろいゆくまま、
一年以上の時間をかけてじっくりと育てあげました。
1.斉藤さんの上質なお米
日光連山の雪解け水が伏流水となり、それが日光市の東方に至って、あちらこちらで湧き出します。その湧き水を水源とする二本の細い川に挟まれ、周囲を里山に囲まれた、夏には蛍も飛ぶわずか四反歩の田んぼこそ、他を圧して美味しいコシヒカリを生み続ける、斉藤和夫さんの田んぼです。
綺麗な水がキラキラ光りながら流れ込む斉藤さんの田んぼは良くたがやされ、黒い土は深く柔らかく、そして豊かです。水を多く含む深い田んぼは特に「湿田」と呼ばれ、美味しいお米を産むことで知られています。
斉藤さんの田んぼには、大きなカエルがスイスイ泳いでいます。カエルは環境の変化に敏感なところから「環境のカナリヤ」とも表現されています。斉藤さんの田んぼで気持ち良さそうにまどろみ、そして遊ぶカエルは、その田んぼの安全度を示す、いわば指標です。
2.田代さんの安心・安全な大豆
田代さんの大豆畑は消毒薬の散布を最小限に留めているので、雑草も元気に共存しています。
種の一部は鳥に食べられ、雑草も容認することにより、畑の収量は通常の半分ちかくまで落ちますが、それよりも「安全・安心」を何より大切にしています。
その田代さんの畑からは、量は少ないながら、丸々と太った大粒の大豆(タチナガハ、里のほほえみ)が収穫されます。
大豆畑には、カマキリやバッタもたくさんいます。
いろいろな虫たちに食べられて、大豆の葉には穴が目立ちます。
でも、鳥に種を食べられてしまったり、虫に葉を食べられるほどの大豆は、人が食べても安全で美味しいんです。
3.純国産塩
大豆やお米と同じくらい大切なもうひとつの原材料である塩には、世界で最も厳しい衛生基準に合格した純国産のものを選びました。
4.粒のまま、丸のまま
大豆やお米は擂り潰さず、粒々のまま残しました。
また大豆のうち5パーセントは、丸のまま残しました。
大豆やお米の上質さを目で確かめられるよう、またその美味しさを舌だけではなく口の中すべてで感じられるようにするためです。
5.うま味を仕込み水に
普通の味噌では、仕込み水にはただの塩水を用います。しかし、当社の味噌は、折角の大豆のうま味を更に活かすため、仕込み水には大豆の煮汁を使いました。
これらはとても手間のかかる製法ですが、良いもの、美味しいものを作ろうとすれば、それなりの手間は覚悟の上です。
6.春は「うたて返し」
味噌を育てるのは酵母と乳酸菌です。酵母は好気性つまり酸素を好む菌で、仕込み桶の上の方で活発化します。また乳酸菌は嫌気性つまり酸素を好まない菌で、仕込み桶の底の方で元気に活動します。
この酵母と乳酸菌に力いっぱい働いてもらうため、仕込み桶の上の方にある味噌と底の方にある味噌を入れ替える行いを「うたて返し」と呼びます。
大寒の時期に仕込まれた味噌の表面に琥珀色の「たまり」が上がる5月に、私たちは1回目のうたて返しをします。ここで味噌1グラムあたりの一般生菌数は10の7乗個から10の8乗個へと増え、目に見える形での熟成を開始します。
7.夏は「桶を動かす」
夏には、当店味噌蔵のうち最もひんやりとした場所から、より温度の高い場所へと仕込み桶を移します。味噌は程なく桶の芯まで温まり、みるみるうちにその色つや、柔らかさ、潤いを増していきます。
この、味噌が一気に花開く時期において、いつ、これをまた元の涼しい場所へ戻し落ち着かせるか、という「時の見計らい」は特に、私たちの腕の問われるところです。
秋、味噌は2度目のうたて返しをほどこされ、涼しさの中でふたたび「後熟」という長い眠りに就きます。
8.仕込み1年で完成
仕込みから丸一年が過ぎるころ、味噌は昭和30年代の味噌蔵に満ちていたと変わらない、様々な美味しさに満ちた、色とりどりの香りを静かに放ちはじめます。
白味噌は山吹色に輝き、料理の中で活かされることを、ワクワクしながら待っているように見えます。
日光の水にはぐくまれた日光の大豆と日光のお米。
これらに味噌製造技能士を含む上澤梅太郎商店の職人たちが神経を注ぎ、環境を整備し、見守り、そして日光の恵まれた四季のなかで酵母や乳酸菌が育て上げた新生日光味噌。
当社はこの味噌に「梅太郎」の名を与えました。
この味噌がお客様の台所で、お客様の食卓で、喜びを以て迎えられることを、願ってやみません。